Twitterのタイムラインで教育の話題が流れてくると。

葉月雅治でございます。

 

社労士と教育業の二束の草鞋(実際に草鞋は履かないが)を履く立場としては気になるところで、先日掛け算の順序という、まぁよくある話題が流れてきた。

現在小生小学生を受け持っていないので、実際にそのお話にぶち当たることはないのだが、そもそも例えば2人掛けの椅子が3脚あるって考えることと3脚の椅子に2人ずつ掛けるって考えることを区別する必要なぞない派であるんだが、それ以上に政府支出がなければ納税できないのに税が財源と騙されてしまうのような大人たちがわんさかいる時点で、掛け算の順番ガーとか言っていることってほとんど意味をなしていないよな、なんて思ったりするよな。

政府支出→徴税の順番は絶対大事じゃん。

 

今週は受け持っている高校生が定期テスト期間で、今日は勤労感謝の日で祝日なので、お昼から授業と補講をしようかと思っていてこのあといらっしゃるわけだが、勤労感謝の日に社労士がもう一つの仕事として(副業ではない)教育業を行うという勤労感謝って何やねん状態なのだが、脅威苦行と変換されて難やねん状態なのだが、数学みたいなわかりやすい暗記教科で点数を取れるようになると楽なのよね、なんて思ったりするよね。

いや解き方憶えているから解けるわけで、その内容をどのくらい掘り下げて理解しているかは別ってことね。

それは数学も同じじゃん。

 

数学的なセンスに個人差がないって言うつもりなんかありませんよ。

生まれ持つ野球センスがあるように、生まれ持つ数学センスもあるでしょう。

ただ、

(;^ω^)<数学が苦手なんですぅ~。

と言う生徒って、チョメチョメの定義って何でしたっけ?って聞いても答えられない、それ頭に入っていなければ解けるわけないよって、そこから説いていかねばならないことが稀によくあるんですね。

憶えるべきことは憶えるしかないんですよ。

 

そして憶えるべきことを憶えた後にどれほど活かしていけるかはその人次第なのです。

勉強なんて役に立たないなんて言っている大人は、本当は勉強が役に立つ局面であるのに、それにすら気づかないだけなのかもしれません。

見渡してごらんよ。

誰かの赤字が誰かの黒字であることは見たらわかるってレベルの話なのに、それがわからずに財政健全化などと妄想している、そういう連中ってヤクルト対オリックスの試合でヤクルトもオリックスも勝てとか思っていたりするんですかね、同じ理屈なんですが。

ホームラン級のバカだよな。

そんな大人になっちゃいかんよってことを教えることが、小生から勉学を学ぶ唯一の意義ではなかろうかなんて思ったりしますね。

そして小生は小生で生徒からたくさんのことを教わることができることが、自称教育者である意義のうちの一つであります。