人は何故貨幣について間違えるのか物々交換の観点から仮説を立ててみた。

葉月雅治でございます。

 

例えばわたしのバナナとあなたのキウイを等価とみなして物々交換をするとしたら、

(わたし) キウイ(資産)│バナナ(資産)

(あなた) バナナ(資産)│キウイ(資産)

みたいな仕訳を思い浮かべると思うんですがこれって、

(わたし) キウイ権(資産)│バナナ権(負債)

(あなた) バナナ権(資産)│キウイ権(負債)

と、

(わたし) バナナ権(負債)│バナナ(資産)

(あなた) キウイ権(負債)│キウイ(資産)

と、

(わたし) キウイ(資産)│キウイ権(資産)

(あなた) バナナ(資産)│バナナ権(資産)

が同時に起きたから、

(わたし) キウイ(資産)│バナナ(資産)

(あなた) バナナ(資産)│キウイ(資産)

の結果が生まれたと言えるでしょう。

本質的にはバナナ権とキウイ権という権利を等価で交換しているが、見た目にはバナナとキウイの交換が行われているということになるわけです(多分)。

 

これがわたしはキウイを受け取り後日バナナを渡す約束をしたのように取引に時間差が生じて、

(わたし) キウイ(資産)│バナナ権(負債)

(あなた) バナナ権(資産)│キウイ(資産)

のように結果が見やすくなると、バナナ権が誕生することがわかりやすくなりますかね(多分)。

 

このバナナ権やキウイ権に一定の基準を設け、流通させられるような仕組みをつくれば、貨幣として経済活動を行うことができるようになります。

これは誰かの負債で経済活動を行っていると言い換えることもできるでしょう。

負債を毛嫌いする人はこういう話を理解されたらいかがでしょうか(多分)。


「財源は国債」が云々って経済詳しい系の人たちが議論されていたりですが、自分は本来財源って言葉自体が少しズレていて、あえて許容して使うとすれば財源は政府支出なんでしょうが(本質的なことをいえば供給能力かな)、ざっくりとした貨幣の認識が修正できるまでは、その表現でも仕方ないのかなと思う派です。

税は財源の一部もね。

違和感があるのも事実ですが(笑)。

自分自身は細かい議論をするよりも、空気が動くことを優先して活動していきたいと考えております。

数十年かけて少しずつ転換していくといいですね。