風邪で体調が悪いです。
久しぶりの風邪。
普段から栄養とってひかないようにしてたけど
3月の忙しさとプライベートの大変さが月末に重なって
抵抗力ががくんと落ちていたのかもしれない。
正直言って営業部の部長というのは長く続けられるものではないかもしれないw
特に現場にも出るとなると。
というわけで明日から新しい期が始まる。
新卒も15,6人入ってくるらしいので
朝礼で気の利いた一言も言わなくちゃいけないのだけど
その前にこんな鼻水じゅるじゅるでは威厳もへったくれもあったもんじゃなさそうw
そんな鼻水の最近の投稿動画です。
GUMI 狂気の桜
ゆっくりめのテンポに挑戦。春だしお花見の季節だからね!不吉な桜の曲を書きました。
AVTECHNO!さんのBLUE/GREEN 歌ってみた
3分過ぎのサビのところはうまくいったかな、と自分では思っていたりする。
風呂入って寝よう。
なんかアメバのマイページが変わってから使いにくそうな印象で殆ど触ってなかった。
あと忙しかった。
というかブログって新しいものに変えづらいよね。
アナログの日記帳でいうと無限にページがある日記帳みたいな感じ。
50個も記事というか日記書けばもう変えにくくなるよね。
記憶や思い出みたいなもんだから、
ほんとに極端なたとえだけど脳みそ交換するのと同じような感じ。
だから変えづらい。
いっこ別に作った事があるんですよね。
http://kojiro-dtm.blogspot.jp/
自分の写真もいっこはっつけてあるけど2,3更新テストしてあとは放置。
いっそ変えてしまおうかな。
考え中。
さて3月は決算という事で本当に忙しかった。
土曜も殆どなかったし休みの日は家のことやると殆ど遠出もできない。
遠出と言ってもせいぜい大宮か山手線圏内行くぐらいだけれど。
4月も前半はどたばたするだろうきっと。
5月は時間そこそこ取れそうだから今のうちに色々計画しておこう!
あと忙しかった。
というかブログって新しいものに変えづらいよね。
アナログの日記帳でいうと無限にページがある日記帳みたいな感じ。
50個も記事というか日記書けばもう変えにくくなるよね。
記憶や思い出みたいなもんだから、
ほんとに極端なたとえだけど脳みそ交換するのと同じような感じ。
だから変えづらい。
いっこ別に作った事があるんですよね。
http://kojiro-dtm.blogspot.jp/
自分の写真もいっこはっつけてあるけど2,3更新テストしてあとは放置。
いっそ変えてしまおうかな。
考え中。
さて3月は決算という事で本当に忙しかった。
土曜も殆どなかったし休みの日は家のことやると殆ど遠出もできない。
遠出と言ってもせいぜい大宮か山手線圏内行くぐらいだけれど。
4月も前半はどたばたするだろうきっと。
5月は時間そこそこ取れそうだから今のうちに色々計画しておこう!
新曲UPしました。
ボカロでGUMIです。
【GUMI】 PROMISE IN THE WHITE WORLD /speed techno
歌詞はXTHAS氏に書いてもらったものです。
インストはこちら http://piapro.jp/t/amXd
歌詞の世界と意味については敢えてXTHAS氏には聞かなかった。
意味的にはバラードの方が本来合うのかな、という感じだけど
テクノでハイスピードで高速で歌い上げる感じにして
無機質な音源ばかりチョイスしてみた。
そんで電子音のノイズもよく聞くと終始流れてる。
その方が声が際立つかなという目論見で。
なので珍しくケロケロも使わなかった。
良い結果になったかは別として、生々しい感じを出してみたいなと思った。
特に後半。
さて
毎回再生数やマイリスなどは伸びないのだけれど
それはあくまで他の方と比較してで、
昔、それこそ俺がDTM始めたときは友達と家族くらいしか自作曲を聴いてくれなかったのだから
再生が400とか500とか行くのはよくよく考えればとてもいい環境。
さて
ここで満足してしまうのは、それはそれでありだけど
もう一方ではそこで満足しきってしまうのは個人的にはあまり好きじゃない。
競争環境や名誉欲や認知欲というのは
成長には欠かせないし、可能であればもっと聴いてもらえるようになりたいというのが本音だ。
前者は、自分個人的には誤魔化しに分類される。
そこは誤魔化したくない。
両方を持ちながらこれからも色々作っていきたいと思う。
ボカロでGUMIです。
【GUMI】 PROMISE IN THE WHITE WORLD /speed techno
歌詞はXTHAS氏に書いてもらったものです。
インストはこちら http://piapro.jp/t/amXd
歌詞の世界と意味については敢えてXTHAS氏には聞かなかった。
意味的にはバラードの方が本来合うのかな、という感じだけど
テクノでハイスピードで高速で歌い上げる感じにして
無機質な音源ばかりチョイスしてみた。
そんで電子音のノイズもよく聞くと終始流れてる。
その方が声が際立つかなという目論見で。
なので珍しくケロケロも使わなかった。
良い結果になったかは別として、生々しい感じを出してみたいなと思った。
特に後半。
さて
毎回再生数やマイリスなどは伸びないのだけれど
それはあくまで他の方と比較してで、
昔、それこそ俺がDTM始めたときは友達と家族くらいしか自作曲を聴いてくれなかったのだから
再生が400とか500とか行くのはよくよく考えればとてもいい環境。
さて
ここで満足してしまうのは、それはそれでありだけど
もう一方ではそこで満足しきってしまうのは個人的にはあまり好きじゃない。
競争環境や名誉欲や認知欲というのは
成長には欠かせないし、可能であればもっと聴いてもらえるようになりたいというのが本音だ。
前者は、自分個人的には誤魔化しに分類される。
そこは誤魔化したくない。
両方を持ちながらこれからも色々作っていきたいと思う。
昨日祖母が亡くなった。
小学生以降は諸々の事情であまり関わりがなかった。
宮崎の出張に向かう途中でその知らせを聞いたのだが。
結論お通夜などには行けなかった。
ぼんやりとしか顔も思い出せないのだが、
どちらかというと声の方が鮮明に思い出せる。
小学生以降は諸々の事情であまり関わりがなかった。
宮崎の出張に向かう途中でその知らせを聞いたのだが。
結論お通夜などには行けなかった。
ぼんやりとしか顔も思い出せないのだが、
どちらかというと声の方が鮮明に思い出せる。
追記
そういう意味では、意識を変えるべきは俗に言うボカロP側だ。
消費者側の意識を変えるというのは並大抵のことではないし、不可能に近いレベルだ。
有名になりたい、評価されたいという意識を持っているのなら
いち早くそれに気付いた者で、動いた者の方が圧倒的に有利だ。
もったいない。
余談だが、市場にはまだもったいないものがあふれてる。
例えばアパレル。特に古着市場。
消費者は今、安くて価値のあるものに流れる傾向がある。
衣食住は不滅のマーケットだが、なぜかアパレルは不況の企業が多い。
これは消費者より偉いという気持ちがやはりどこかにあるのだろう。
芸術家に近い、
そうだな、
ファッションセンスなどに代表されるセンスという言葉が消費者ニーズに霧をかけている。
衣に於いて優先されるニーズのひとつに清潔感があるが
古着市場はこの清潔感というものをおざなりにしている傾向が強く見られる。
古着は確かに、安くて価値のあるものが多い。
が、身に着けるものにも関わらず清潔感のある店舗というのは少ない。
なぜユニクロやH&Mはアパレル市場の中である意味独占的なシェアを持っているのか。
H&Mのコンセプトはこうだ。
「H&Mはファッションとクオリティを最良の価格でご提供します」
クオリティの中に清潔感と痛み具合が含まれる。
古着屋の例 大体こんなイメージが多い

H&M 原宿店

正直古着屋の服というのは、誰が着たかわからない洋服がそのまま使い古しのまま売られている
という印象が強い。
きちんとクリーニングをしてそれなりのディスプレイと店内レイアウトをすればかなり
印象が変わるはずなのに。
俺はアパレルに居たことがないから
「お前はわかってない」
「クリーニングなんかしてたら儲からない」
とかの意見はあがってきそうだがそんな事は重々承知だ。
もし、本気で今後も古着というジャンルで生き残って生きたいのなら
そんな事四の五の言わずに挑戦してみて成功した者が勝ち残る。
ニーズに応えてないものに人は金を出さないのだから。
余談がメインになってしまったが、
それだけ消費者のニーズというのは強烈で、変化に富んでいて、いつも経済を翻弄させる。
だからこそいつどの瞬間でもチャンスがある。
そういう意味では、意識を変えるべきは俗に言うボカロP側だ。
消費者側の意識を変えるというのは並大抵のことではないし、不可能に近いレベルだ。
有名になりたい、評価されたいという意識を持っているのなら
いち早くそれに気付いた者で、動いた者の方が圧倒的に有利だ。
もったいない。
余談だが、市場にはまだもったいないものがあふれてる。
例えばアパレル。特に古着市場。
消費者は今、安くて価値のあるものに流れる傾向がある。
衣食住は不滅のマーケットだが、なぜかアパレルは不況の企業が多い。
これは消費者より偉いという気持ちがやはりどこかにあるのだろう。
芸術家に近い、
そうだな、
ファッションセンスなどに代表されるセンスという言葉が消費者ニーズに霧をかけている。
衣に於いて優先されるニーズのひとつに清潔感があるが
古着市場はこの清潔感というものをおざなりにしている傾向が強く見られる。
古着は確かに、安くて価値のあるものが多い。
が、身に着けるものにも関わらず清潔感のある店舗というのは少ない。
なぜユニクロやH&Mはアパレル市場の中である意味独占的なシェアを持っているのか。
H&Mのコンセプトはこうだ。
「H&Mはファッションとクオリティを最良の価格でご提供します」
クオリティの中に清潔感と痛み具合が含まれる。
古着屋の例 大体こんなイメージが多い

H&M 原宿店

正直古着屋の服というのは、誰が着たかわからない洋服がそのまま使い古しのまま売られている
という印象が強い。
きちんとクリーニングをしてそれなりのディスプレイと店内レイアウトをすればかなり
印象が変わるはずなのに。
俺はアパレルに居たことがないから
「お前はわかってない」
「クリーニングなんかしてたら儲からない」
とかの意見はあがってきそうだがそんな事は重々承知だ。
もし、本気で今後も古着というジャンルで生き残って生きたいのなら
そんな事四の五の言わずに挑戦してみて成功した者が勝ち残る。
ニーズに応えてないものに人は金を出さないのだから。
余談がメインになってしまったが、
それだけ消費者のニーズというのは強烈で、変化に富んでいて、いつも経済を翻弄させる。
だからこそいつどの瞬間でもチャンスがある。
音楽活動をしている。活動というか趣味か。
ニコニコ動画を中心に、ボカロ、インスト、歌ってみたなどを。
特にボカロだがここ1年ほどで投稿者側と視聴者側の関係が変わっているのかなと思う。
もちろん、その関係に変化があるのは当たり前だと思ってる。
特にボカロ界隈は変わったなーと思う。
全体すべてではなく、比率が高くなったのかなって。
以前
投稿者 → 好きなものを作って投稿
視聴者 → 気に入ったものがあればラッキー
今
投稿者 → どうやったら受けるかな
視聴者 → これは良い これは駄目
大雑把過ぎるけどね。
最近ボカロの曲のコメントを見てると以前には無かったような批判コメントが増えていたり、
以前に比べると大分コメントの印象が違ってきたなという感じがする。
理由はわかっていて、
ボカロがマーケット化して投稿者より視聴者側の方が立場が上位に立ったからだ。
経済活動が発生すると提供側より需給側の方が上になるのは至極当たり前だ。
最近のこの動きからすると、クリプトンに代表されるようなボカロソフトメーカーを
市場の立ち位置に含めると下記のような例えになる。
メーカー 農家や畜産家
投稿者 レストラン
視聴者 顧客
マーケットに於いて消費者側は最強である。
これは殆どの場合そうである。
では上記の例を以前で例えるとどうだったか
ニコニコ動画 レストラン
投稿者 顧客
視聴者 顧客
正直微妙な例えだがこんな感じだと思う。
ボカロ曲のニーズ(需要)が高まり、お金が発生するようになり
視聴者側の立場が自動的に、意図せず(投稿者側が)に高まった形だ。
ただ、意図せずに、且つ、投稿者側の定義が曖昧で、幾つものパターンに分類される為
いびつにカテゴライズされるのが現状のように思える。
大枠では下図参照

細かく分けるともっともっと細かくなるけど大雑把にはこんなもんだろうか。
ポイントは、
視聴者は変化して、ひとつのくくりになったが
投稿者側はそうでない部分もまだ多く残ってる(残されている)という点。
しかし視聴者によって投稿作品はくくられてしまっている。
簡単に、至極簡単に少ない言葉でまとめると。
視聴者は、
今まで 「良い作品に出会えた、ラッキー」 から
今は 「下らない作品に時間使わせるなよ」へと変化しつつある。
前者は”あくまでも数多くある素人作品の中から良いものを見つけた”なので
批判という概念が希薄。
後者は”良い作品が多く並んで「ボカロ」という括りの中ではお金も使用している”から
批判する事はありでしょうの概念が少し強まっている。
(当たり前の段階には至っていない)
投稿者側(レストラン)は視聴者(お客)の流行に敏感なものである。
それは提供する側からすると当然の反応で、
俺も以前飲食店の運営をしていた時にはお客の流行にとても敏感であった。
常に顧客が何を求めているのかを考える必要があった。
そしてそれに応じた対価として代金をいただいていた。
Twitterなどを見ていると、昔に比べるとボカロのランキングは似たような曲が多くなった
という言葉をみかける事がたまにある。
これも当然の変化であろう。
というのもボーマスやコミケなどの同人CDの販売に於いてこのランキングは経済活動の結果に
ダイレクトに反映する。
また、人の持つ名誉心にも直接働きかける。
そして特に支持される人々の中からメジャーデビューなどの輝かしい結果を残す方々が
現れればそれは更に加速する事となる。
この動きはこれから更に顕著になっていく事と思う。
それは投稿者側に対するメーカー側の反応で明らかで、数多くのボカロソフトがここのところ
加速的に販売されていること裏付けられる。
ちなみにニコニコのユーザーのメインは小中学生と高校生だ。
特にボカロカテゴリ、歌ってみたカテゴリはそれが多いそうだ。
(ユーザー数の増加に伴って比率はその傾向が強まってきたみたい)
これにもさまざまな要因があるが今は割愛。
セグメントを見る限りこれからもランキング上位などはメインユーザーに支持される作品が多く出てくる事と思う。
長々と書いたけれど、上記は悪い事ではなくて、ただの変化だ。
市場では当たり前にある。
Aさんは廃盤の車が好きだったけど消費者全体からは支持されなければそれは廃盤となり
市場からは姿を消す。
そんな俺の、新しい歌ってみたです。
AVTECHNO!さんのBOKUBOKUβをまたUPしました。
ニコニコ動画を中心に、ボカロ、インスト、歌ってみたなどを。
特にボカロだがここ1年ほどで投稿者側と視聴者側の関係が変わっているのかなと思う。
もちろん、その関係に変化があるのは当たり前だと思ってる。
特にボカロ界隈は変わったなーと思う。
全体すべてではなく、比率が高くなったのかなって。
以前
投稿者 → 好きなものを作って投稿
視聴者 → 気に入ったものがあればラッキー
今
投稿者 → どうやったら受けるかな
視聴者 → これは良い これは駄目
大雑把過ぎるけどね。
最近ボカロの曲のコメントを見てると以前には無かったような批判コメントが増えていたり、
以前に比べると大分コメントの印象が違ってきたなという感じがする。
理由はわかっていて、
ボカロがマーケット化して投稿者より視聴者側の方が立場が上位に立ったからだ。
経済活動が発生すると提供側より需給側の方が上になるのは至極当たり前だ。
最近のこの動きからすると、クリプトンに代表されるようなボカロソフトメーカーを
市場の立ち位置に含めると下記のような例えになる。
メーカー 農家や畜産家
投稿者 レストラン
視聴者 顧客
マーケットに於いて消費者側は最強である。
これは殆どの場合そうである。
では上記の例を以前で例えるとどうだったか
ニコニコ動画 レストラン
投稿者 顧客
視聴者 顧客
正直微妙な例えだがこんな感じだと思う。
ボカロ曲のニーズ(需要)が高まり、お金が発生するようになり
視聴者側の立場が自動的に、意図せず(投稿者側が)に高まった形だ。
ただ、意図せずに、且つ、投稿者側の定義が曖昧で、幾つものパターンに分類される為
いびつにカテゴライズされるのが現状のように思える。
大枠では下図参照

細かく分けるともっともっと細かくなるけど大雑把にはこんなもんだろうか。
ポイントは、
視聴者は変化して、ひとつのくくりになったが
投稿者側はそうでない部分もまだ多く残ってる(残されている)という点。
しかし視聴者によって投稿作品はくくられてしまっている。
簡単に、至極簡単に少ない言葉でまとめると。
視聴者は、
今まで 「良い作品に出会えた、ラッキー」 から
今は 「下らない作品に時間使わせるなよ」へと変化しつつある。
前者は”あくまでも数多くある素人作品の中から良いものを見つけた”なので
批判という概念が希薄。
後者は”良い作品が多く並んで「ボカロ」という括りの中ではお金も使用している”から
批判する事はありでしょうの概念が少し強まっている。
(当たり前の段階には至っていない)
投稿者側(レストラン)は視聴者(お客)の流行に敏感なものである。
それは提供する側からすると当然の反応で、
俺も以前飲食店の運営をしていた時にはお客の流行にとても敏感であった。
常に顧客が何を求めているのかを考える必要があった。
そしてそれに応じた対価として代金をいただいていた。
Twitterなどを見ていると、昔に比べるとボカロのランキングは似たような曲が多くなった
という言葉をみかける事がたまにある。
これも当然の変化であろう。
というのもボーマスやコミケなどの同人CDの販売に於いてこのランキングは経済活動の結果に
ダイレクトに反映する。
また、人の持つ名誉心にも直接働きかける。
そして特に支持される人々の中からメジャーデビューなどの輝かしい結果を残す方々が
現れればそれは更に加速する事となる。
この動きはこれから更に顕著になっていく事と思う。
それは投稿者側に対するメーカー側の反応で明らかで、数多くのボカロソフトがここのところ
加速的に販売されていること裏付けられる。
ちなみにニコニコのユーザーのメインは小中学生と高校生だ。
特にボカロカテゴリ、歌ってみたカテゴリはそれが多いそうだ。
(ユーザー数の増加に伴って比率はその傾向が強まってきたみたい)
これにもさまざまな要因があるが今は割愛。
セグメントを見る限りこれからもランキング上位などはメインユーザーに支持される作品が多く出てくる事と思う。
長々と書いたけれど、上記は悪い事ではなくて、ただの変化だ。
市場では当たり前にある。
Aさんは廃盤の車が好きだったけど消費者全体からは支持されなければそれは廃盤となり
市場からは姿を消す。
そんな俺の、新しい歌ってみたです。
AVTECHNO!さんのBOKUBOKUβをまたUPしました。
正直言うと曲作りは長くやってるけどコード進行の勉強をした事が殆どない。
ただ、ボカロやり始めてからは曲の構成や、歌メロなど
とにかくこれまで当たっていなかった壁に多くぶち当たるようになった。
コード進行もそのひとつ。
そんな俺が初めてコード進行というのを意識して作った曲がこちら
GUMI 「ask」
歌メロのところはまだほんと慣れなくてこれでいいのか自分で納得いくいかないの前の段階だったりする。
が、一応なんとか終わりまで作り終えられた。
メジャーキーの曲というのも普段あまり作らないのでそれも違和感感じまくりの中の作成だった。
歌メロ慣れた頃にもっかいメロディ作り直せばもしかするともうちょっとよくなるかもしれない。
わからない。
ASK というのは 信仰的な意味もあるけど「問う」「頼む」の意味合いの方が強くて
歌詞中に出てくる神様に対しては本来「pray」、お祈りの方がベーシックな使い方だ、
ただ、今回の場合モチーフが少年の目線なので
お祈りはしっくりこないので、頼む、や問う、のASKになった。
ただ、どうも俺が歌詞を書くと厨二病っぽさが若干出るw
今回、AVALONに続いてあるとさんに素敵なイラストを描いていただいた。
感謝です。
聴いていただいた方にも、感謝です。
ただ、ボカロやり始めてからは曲の構成や、歌メロなど
とにかくこれまで当たっていなかった壁に多くぶち当たるようになった。
コード進行もそのひとつ。
そんな俺が初めてコード進行というのを意識して作った曲がこちら
GUMI 「ask」
歌メロのところはまだほんと慣れなくてこれでいいのか自分で納得いくいかないの前の段階だったりする。
が、一応なんとか終わりまで作り終えられた。
メジャーキーの曲というのも普段あまり作らないのでそれも違和感感じまくりの中の作成だった。
歌メロ慣れた頃にもっかいメロディ作り直せばもしかするともうちょっとよくなるかもしれない。
わからない。
ASK というのは 信仰的な意味もあるけど「問う」「頼む」の意味合いの方が強くて
歌詞中に出てくる神様に対しては本来「pray」、お祈りの方がベーシックな使い方だ、
ただ、今回の場合モチーフが少年の目線なので
お祈りはしっくりこないので、頼む、や問う、のASKになった。
ただ、どうも俺が歌詞を書くと厨二病っぽさが若干出るw
今回、AVALONに続いてあるとさんに素敵なイラストを描いていただいた。
感謝です。
聴いていただいた方にも、感謝です。
普通のコミュニケーションの中でストレスを感じる事、、、
色々なケースがあると思う。
今回は上下関係を意識してしまってる場合について、
相手よりも上に存在したいと思っている場合
特にその傾向は強いのだと思う。
例えば俺の場合、自分の直下には課長の部下がいてその下に一般の社員さんがいる。
組織の場合、
一般社員さんのほうが課長よりも能力が高い場合があったりする。
ある一般社員、
「こいつ(課長)俺より仕事できないくせに偉そうに」という感情を課長に対して持っているとする。
そうすると、その課長からの通常のコミュニケーションに対しても
ストレスを感じるようになる。
そうなってくると発言やコミュニケーションの中に
そのストレスが形になって現れて
言葉の節々や雰囲気に見下した表現が出てくる。
こうなると、
この二人の対人関係は段々と崩れていく。
俺が思ってたよりも人は人の表現に敏感で
見下している感情を感じ取って、煙たがりはじめたり、嫌悪感を覚え始める。
そしてお互いに嫌悪感をぶつけ合うような形になり
対人関係が壊れていく。
通常のコミュニケーションでストレスを感じ始めた場合
相手を下に見ているか、下に見られ始めたかの可能性もあり得る。
会社だけでなく通常の友人関係や知人関係でも同じだろうか。
よく聞く言葉で
「こいつにだけは言われたくない」というのがあるけれど
同じようなものだろうね。
SNSを見ていても、愚痴のコメントの多くはそういうものだったりする。
そういえばSNSの場合に思ったことがあって、
Twitterの記事をこの間書いたが
Twitterで敢えて愚痴ってるなという雰囲気の場合、
対象がフォロワーさんにいる可能性が結構高そうだなと思った。
女性に多い。
これはリアルと一緒で、
女性が例えば職場や学校の教室などで、わざと聞こえる様に陰口や文句を言うのと同じだ。
今回ちょっと長いが、続いて相関関係について。
相関関係というのは、Aが変化した場合Bも変化するというもの。
人間関係においては
AさんがBさんに告白した → BさんとAさんは付き合い始めた
Bさんを好きだったCさんが落ち込んだ
というような、よく見る相関図で繋がっている関係の事だ。
組織の育成においてはこの相関関係とキャラクターいうものを把握しているかしていないかで
結果が大きく変わる。
AさんとBさんは同期
Aさんは努力家で能力は平均的
Bさんはマイペースだが能力が高い
Aさんが出世した → Bさんの闘争心に火がついた
結果:Bさんも頑張り始めて出世した
ごくシンプルな例だけれどこういう感じ。
因果関係という言い方も出来るかもしれない。
数学みたいなもので
更に厳密に見ていくと、確率や変数などが加わる。
上の例で言うと
組織の生産性を高めるために、どこに集中すると最も生産性が高くなるか、
Aを一定の成果まで高めて昇華させる事でBが昇華する確立は○○%
みたいな。
もう一例
怪我をして激しい痛みに見舞われる
これは 激しさのレベル=怪我の大きさ にもなる。
消防車が何台も通り過ぎていった
これは=火事の大きさにもなる
火事が起きる → 消防車が出動する
これも相関関係で、形容詞などが加わるとその相関関係の大きさが具体的になる。
要するに
対人関係というのは相関関係の様で、ある事象について結果が起きると変化する。
その変化は
喜怒哀楽+ストレスで発現して今後を左右していく。
これが文字だけで行われるのだからSNSは怖い。
色々なケースがあると思う。
今回は上下関係を意識してしまってる場合について、
相手よりも上に存在したいと思っている場合
特にその傾向は強いのだと思う。
例えば俺の場合、自分の直下には課長の部下がいてその下に一般の社員さんがいる。
組織の場合、
一般社員さんのほうが課長よりも能力が高い場合があったりする。
ある一般社員、
「こいつ(課長)俺より仕事できないくせに偉そうに」という感情を課長に対して持っているとする。
そうすると、その課長からの通常のコミュニケーションに対しても
ストレスを感じるようになる。
そうなってくると発言やコミュニケーションの中に
そのストレスが形になって現れて
言葉の節々や雰囲気に見下した表現が出てくる。
こうなると、
この二人の対人関係は段々と崩れていく。
俺が思ってたよりも人は人の表現に敏感で
見下している感情を感じ取って、煙たがりはじめたり、嫌悪感を覚え始める。
そしてお互いに嫌悪感をぶつけ合うような形になり
対人関係が壊れていく。
通常のコミュニケーションでストレスを感じ始めた場合
相手を下に見ているか、下に見られ始めたかの可能性もあり得る。
会社だけでなく通常の友人関係や知人関係でも同じだろうか。
よく聞く言葉で
「こいつにだけは言われたくない」というのがあるけれど
同じようなものだろうね。
SNSを見ていても、愚痴のコメントの多くはそういうものだったりする。
そういえばSNSの場合に思ったことがあって、
Twitterの記事をこの間書いたが
Twitterで敢えて愚痴ってるなという雰囲気の場合、
対象がフォロワーさんにいる可能性が結構高そうだなと思った。
女性に多い。
これはリアルと一緒で、
女性が例えば職場や学校の教室などで、わざと聞こえる様に陰口や文句を言うのと同じだ。
今回ちょっと長いが、続いて相関関係について。
相関関係というのは、Aが変化した場合Bも変化するというもの。
人間関係においては
AさんがBさんに告白した → BさんとAさんは付き合い始めた
Bさんを好きだったCさんが落ち込んだ
というような、よく見る相関図で繋がっている関係の事だ。
組織の育成においてはこの相関関係とキャラクターいうものを把握しているかしていないかで
結果が大きく変わる。
AさんとBさんは同期
Aさんは努力家で能力は平均的
Bさんはマイペースだが能力が高い
Aさんが出世した → Bさんの闘争心に火がついた
結果:Bさんも頑張り始めて出世した
ごくシンプルな例だけれどこういう感じ。
因果関係という言い方も出来るかもしれない。
数学みたいなもので
更に厳密に見ていくと、確率や変数などが加わる。
上の例で言うと
組織の生産性を高めるために、どこに集中すると最も生産性が高くなるか、
Aを一定の成果まで高めて昇華させる事でBが昇華する確立は○○%
みたいな。
もう一例
怪我をして激しい痛みに見舞われる
これは 激しさのレベル=怪我の大きさ にもなる。
消防車が何台も通り過ぎていった
これは=火事の大きさにもなる
火事が起きる → 消防車が出動する
これも相関関係で、形容詞などが加わるとその相関関係の大きさが具体的になる。
要するに
対人関係というのは相関関係の様で、ある事象について結果が起きると変化する。
その変化は
喜怒哀楽+ストレスで発現して今後を左右していく。
これが文字だけで行われるのだからSNSは怖い。
科学的な根拠はない。
Twitterをやり始めて1年くらいになる。多分。
フォローする人の数も増えてきて思った。
これはもしかして、人の情報処理能力に無駄に負荷をかけているのではないか。
人の脳をCPUやメモリと仮定すると、
絶えず新しいテキストが雨のように降ってくるようなものだ。
文字通り画面上では上から雨の様に降ってくるし。
入ってくる情報を無駄なもの、必要なものと頭の中で振り分けていくわけだが
殆どはTwitterのコンセプト同様の「つぶやき」で、有用な情報というものは
あまりないのは事実かもしれない。
言ってみればウォーリーを探せ状態だ。
特に放置した後のタイムラインを駆け上る場合、それに近い。
よく受験勉強の妨げになるものとしてTwitterが挙げられるが
もしかしたらまさしくその通りなのかもしれない。
時間という部分だけでなく、本来勉強に使わなくてはいけない頭のリソースを
タイムライン上の情報処理をする側へまわしているのだから。
個人的にはTwitterは好きだ。
SNSとして見ればすごくよくできていてシンプルで間口も広い。
ただ、そういう面もあるのかもしれないなと頭に入れておこう。
Twitterをやり始めて1年くらいになる。多分。
フォローする人の数も増えてきて思った。
これはもしかして、人の情報処理能力に無駄に負荷をかけているのではないか。
人の脳をCPUやメモリと仮定すると、
絶えず新しいテキストが雨のように降ってくるようなものだ。
文字通り画面上では上から雨の様に降ってくるし。
入ってくる情報を無駄なもの、必要なものと頭の中で振り分けていくわけだが
殆どはTwitterのコンセプト同様の「つぶやき」で、有用な情報というものは
あまりないのは事実かもしれない。
言ってみればウォーリーを探せ状態だ。
特に放置した後のタイムラインを駆け上る場合、それに近い。
よく受験勉強の妨げになるものとしてTwitterが挙げられるが
もしかしたらまさしくその通りなのかもしれない。
時間という部分だけでなく、本来勉強に使わなくてはいけない頭のリソースを
タイムライン上の情報処理をする側へまわしているのだから。
個人的にはTwitterは好きだ。
SNSとして見ればすごくよくできていてシンプルで間口も広い。
ただ、そういう面もあるのかもしれないなと頭に入れておこう。