春分の日の夕刻、最愛の息子が見守る中、義父が安らかに息を引き取りました。





教会でお別れの今日、キッチンの窓際から外を眺めると、目の前に大きな虹がかかってました。




いつもの時間の日曜日(17日)に、お連れ様と2人で介護施設へ訪れた際、義父は珍しくベットで熟睡中。日曜日の夜から抗生物質を投入し、快復を待つも、眠ったままの状態が続きました。複数の医師の判断と家族の了承のもと、火曜日(19日)から微量のモルヒネを投入。静かに旅立ちを待つ状態でした。

それがまさか、次の日の水曜日、義理の兄の帰省(木曜日)を待たずに旅立つとは…。家族にとって、思っていたよりも早いお別れとなりました。

私は、仕事後(20日の夜) 介護施設へ足を運び、2度と目覚めることのない義父と面会。穏やかな顔で旅立った義父の顔を眺めると、深い悲しみながらも、ほんの少し救われたように思いました。


遠い異国の地からやって来た私を、家族として迎え、息子同様に優しく接してくれました。

誇り高くエレガントな父。最期も、穏やかに旅立ちました。

私がフランスへ再び住みはじめた2015年、最愛の妻(私にとって義母)を癌で亡くし、それから9年間、家族のために生き続けてくれました。

今日、教会で義父のお別れ会があり、明日火葬(敬虔なクリスチャンの義理の伯母は、土葬を希望しています)し、お墓へ眠ります。

そして、これまた義父の死の後を追うように、99歳の義理の伯母(義父の姉)も全く同じ症状で最期の時を迎えようとしています。

5年間、毎週日曜日に介護施設へ足を運んでいた習慣が途絶え、何だかぽっかり穴が空いたような感覚です。

先週の木曜日から日曜日迄、義理の兄が我が家へお泊りし、弟のお連れ様を支えてくれました。

日曜日、3人で川沿いを静かに散歩。自然や動物が、悲しみを癒してくれます。