私が担当している子供は、首から下が麻痺している。
彼は、ゲームが大好きだ。
勉強も遊びも全て、タブレット端末を使用している。
ある日、彼はゲームセンターで何か欲しいものを、兄にゲットしてもらったらしい。
何度も挑戦し、やっとゲットできた、と話してくれた。
兄はいつも、彼がやってみたい、と思うゲームを彼の代わりにしてみせてあげるらしい。
兄は、彼がその欲しいと言うものを何回でも挑戦し必ずゲットしてくれる、と話す。
「僕がゲームできないから、代わりにお兄ちゃんがしてくれるの。」と淡々と話す。
その感想を聞いてみた。
「自分の代わりにお兄ちゃんがするのを見て、どう思った❓嬉しかった❓楽しかった❓それとも、僕もしたいと思った❓」
すると、やはり泣き出した。
私は彼がまだ小学3年生なのに、大人が話すように淡々と理由を話していることに違和感を感じていた。
自分の心を守るために、あえて感情に蓋をしているのか、防御反応が働いているのかと思いつつ、少し手荒な方法に出てみた。
「本当は、自分がゲームをしたいんでしょ 楽しいって思えないよね
」と言うと、彼はワーワー泣きだした。
「大人のふりして、我慢しなくていいのよ。したいことはしたいと言っていいの。それができなくても、僕はしたいんだと言っていいの。友達と遊んでいても、いやなことをされたら、『嫌だ、止めて』、って言っていいの。遠慮しなくていいのよ。」と話すと、「嫌われる」と言う。
嫌われるのが怖いかと尋ねると、うなづく。
「そうね。怖いね。でも、このままだったら、嫌なことも平気でされちゃうよ。それに、皆に好かれる必要はない。本当にあなたと友達になりたい子は、あなたの意見を受け入れると思うよ。自分の気持ちを抑えなくていいの。」しくしく泣きながら、私の顔をじっと見る。
私は、あなたの本当の友達がいると思う、あなたの気持ちを受け入れない子は、あなたと合わない子だから、遊ばなくてもいいと思うのよ、と話してみた。
すると、お昼休み、「人狼ゲーム」をしていた時、何か事件があったらしく、彼は泣きながらゲームに参加していたうちの一人に、「○○くんは、いつも自分が負けそうになったらゲームを打ち切る。僕は最後までこのまま続けたかった。」と言った。
すると、他の5人の子供たちも、「そうだそうだ」と言い出し、ゲームを終了させようとした子供は、彼に謝った。
そして、ゲーム継続となっていた。
後で、彼に「よく言ったね。誰もあなたのことを嫌わなかったでしょう」と尋ねると、笑顔で「うん
」とうなづいた。
これは彼にとっても私にとっても、印象的な出来事だった。
あれから、子供たちは彼の意見も十分聞き、仲良く遊んでいる。そして同等に喧嘩らしきこともしている。
脳神経はこの年代に、ほとんど作られてしまう。
私は、彼が自分が障がい児だから、「言いたいことを言わない」、
そうでないと「相手にされない、嫌われる」という彼の思い込みにならないようにしたいと思っている。
私は、彼の脳にそういう神経回路を作りたくないのだ。
彼にとってはとても勇気のいる発言だったが、彼はやってのけた。
友達を失うかもしれない、という恐怖と戦い、「僕は嫌だ」と言えた。
私は彼が立派だと思ったし、彼の友だちもまた立派だと思った。
変な同情ではなく、友達として彼を受け入れたのだ。
私は、彼にも自分が障がい児だからと卑屈に育って欲しくない。
どうぞこの小学校での生活が、お互いにとって、良い環境でありますように。
願わずにはいられない。