1961年発刊、倉橋由美子の『暗い旅』が、文芸評論家の江藤淳によって強く批判されました。といっても、ずいぶん過去の話ですが。。
どうやら、フランスの作家ミシェル・ビュトール『心変わり』の模造品だとかなんとか。他にも色々と厳しいです(江藤淳『海外文学とその模造品』)。
それを発端として、倉橋ご本人、他の評論家の方々も関わり始めたようです。とにかく、この作品をめぐって論争があったのは確かなようです。
倉橋由美子の作品はあまり読んだことがないのですが(過去一作品『聖少女』のみ💦)、この論争を知り、ちょっと興味を持って『暗い旅』を手に取りました。
私はビュトール『心変わり』を読んだことはないので、江藤淳が言うところの「模造品」というのはよく分かりませんが、「模倣」ってどこから模倣になるんですかね? やっぱ悪なの~? でも芸術は模倣から始まるとも聞きますし…。模倣のやりかたにもよるのか、程度にもよるのか…🤔?
ま、でもその辺も色々な方が論じているので、私は単に読書を楽しむ一読者として『暗い旅』を読んでみることにしました。
まず、主人公が「あなた」という二人称で描かれるのが新鮮です。
これは単に私自身の問題ですが、あまりこのような手の小説を読んだことがなかったせいか、どうも物語に入りきれず最後まで慣れませんでした。
あとは会話がキザなのが、妙にくすぐったく感じましたね~。
「あなた」と呼ばれる主人公は女性。婚約していたはずの「かれ」が突然消えてしまいます。謎の失踪。好きだった彼が理由もなしに突然消えてしまったら、現実を受け入れられませんよね…。
そこで主人公「あなた」は、「かれ」を探す旅へと出ますが、その旅のあいだ、何度も何度も彼との思い出が頭に浮かび、その都度対峙するのです。なんだか切なくてイタいです…。
基本の時間軸は、現在であり「あなた」は旅をしているわけだけれど、その間に突然回想が入ります。何度も。
これは回想?これは現実?ってなります。
でも自分に置き換えてみると、実際にこうなりますよね、きっと。
よし、これから過去を回想するぞ、と思って回想するわけではなく、気づくと突然ふと頭に思い浮かんでいる。…あ、また考えてた。あ、またかれが出てきた。あ、また…。と、そんな感じでしょうか?
ここでの「あなた」は、まったく感情的ではなく終始冷静な感じには見えたけれど、ほとんど食事が喉を通っていなかったし、他の男といるときも、どんなときも「かれ」が浮かび上がって来て、そのたびに対峙しているから「あなた」なりに混乱していたのかなとは思います。
けれどもいまのあなたは着実に肺の実質を喰いあらされていく結核患者のようだ、希薄な血の溜まった絶望の空洞が大きくなるばかりだ‥‥‥決定的な相違は、あのときはかれの存在がたしかだったのに、いまはかれの存在が疑わしいということ、いや、かれが存在の神殿から消えさってしまったことが確実だということ‥‥‥そこであなたは、あなたの愛のなか、古い手帖のような過ぎさった愛のなかにかれを保存しようと努めているのだ、
消えてしまったかれを知るため、かれの意図を推理するため、「あなた」は考え、その結果、小説を書くこととなります。
それはつまりかれの断片を綴りあわせてかれの全体を構成すること、かれの《書かれなかった小説》を書きあげることなのだ!
「あなた」は、「彼の愛、彼の愛をとおしてもう一度読解されるあなたの愛」を書くそうです……。
うーむ、けっこうひきずっているみたいだけど大丈夫かな?
こうして、「あなた」の「暗い旅」は終わりに向かう(すでに向かった)のかな?
それにしても、女が過去の男を断ち切れない時って旅するのが決まりなの??
アニー・エルノー『シンプルな情熱』、リディア・デイヴィス『話の終わり』もそうじゃなかったっけ。
一番いいのはさっさと上書き保存することだけど、そうそう簡単にいかないのかもね~。
機会があれば、ビュトール『心変わり』も読んでみましょうか。