『カルメン』といえば、まずは音楽が頭に浮かぶ。迫力ある前奏曲「闘牛士」やミステリアスな「ハバネラ」を知らない人はいないと思う(曲名は知らなくても)。

おそらく、メリメの『カルメン』よりも、ビゼーのオペラ『カルメン』の方が有名だろう。実は私も原作を真面目に読んだのは今回はじめてだったりする。。

 

ちなみに、オペラのストーリーは原作とはけっこう違う。カルメンの印象も異なるし、原作の闘牛士はそんなに目立ってない上名前も違う。他にも色々。

 

マリア・カラスの「ハバネラ」聴けるよ♪

 

 

カルメンという自由奔放な女性、その魔性に魅せられたドン・ホセ。

彼もまた、デ・グリュ(→プレヴォ作『マノン・レスコー』でマノンを愛したために破滅に向かった男)のように、恋をしたことによって運命を狂わされてしまった男なのだ。

しかし、デ・グリュとドン・ホセはまったく異なる人格。他人に頼ってばかりでやさ男のデ・グリュに対して、ドン・ホセは他人にきちんと恩義を持てるし自分の力で進むから男らしさは感じる。

 

前回記事にしたマノンとはまったく異なる魅力を持つのカルメン、これまたおもしろい。

 

 

新潮文庫の堀口大學訳で読んだ。
 

 

 

カルメンは、ジプシーのある女性の名。彼女の風貌はかなり具体的に描かれている。はかなげな美しさというより、カルメンには野性的な美しさがあるようだ。

肌は滑らかだったが、銅色に近かった。目は斜視ながらきわめてぱっちりしていた。唇はいささか厚くはあったが、くっきり描かれており、剥きたてのアーモンド以上に純白な歯並びを時々のぞかせもした。〔…〕

 

とりわけ目が印象的なようで、それは狼のような目、いわゆる、スズメやネズミを狙う時の猫の目という感じ。

特に彼女の目は情欲的で、凶暴な表情を宿していたが、これはその後今日にいたるまで、私が人間の目には一度も見たことのないものだった。

 

束縛を嫌い、自由に生きる。カスタネットを鳴らし、踊る。そんな魔性のカルメンを手なづけるのはかなり大変だろう。

貴族出の純朴で真面目な青年、ドン・ホセがどうやってカルメンを手中に収めたのか。

舞台はスペイン、カルメンはアンダルシアのジプシーだけれど、作品はフランス文学。フランス文学における恋愛はもちろん悲恋!

 

 

 

『カルメン』は、①~④の章で分けられている。

 

① 語り手は「私」で、作者であるメリメ自身に近い存在だと思われる。

「私」は、考古学に関する調査目的のためアンダルシア地方を旅行していた。この地である青年と出会い、彼から聞いた物語を我々(読者)に語りだすところから『カルメン』の物語が始まる。

私はここに、ささやかな恋物語を一つお聞かせしようと思う

とのことだが、この恋物語は全くささやかではないぞ。

 

② アンダルシア地方コルドヴァに滞在していた「私」は、旅の途中で出会った青年ドン・ホセを懇意にしていたが、実は彼の正体は悪漢であり、人を何度も殺めた凶悪犯だという。結局、ドン・ホセは投獄され絞首刑を待つ身となったのだが、彼の人柄から凶悪だとは思えない「私」は、投獄中の彼を訪ねる。その時にドン・ホセの身の上話を聞くのだ。元々は真面目な貴族であった青年が、なぜ手配中の悪漢にまでなったのかを。

 

③ 語り手は「私」からドン・ホセとなる。騎兵として真面目に勤務していた青年ホセは、あるたばこ工場の衛兵勤務に回される。そこで出会ってしまった女がカルメン。元々は純朴で奥手なドン・ホセ、そんな彼はカルメンに「かわいいお兄さん」などとからかわれながらも魅かれてゆき、後戻りできない道を歩んでしまう。

あの女の口から出るこうしたことの全部が嘘でした。あの女はたえず嘘をついていました。あの女が一生のあいだに、ただの一度でも本当のことをいったことがあるかどうか私は知りません。そのくせ、あの女に何か言われると、私はそれを信じたものでした。私の力ではこれはどうにもならないものでした。

すべては恋のせい。もはや自分の力では抑制できない。破滅に突き進むしかないのだ。

カルメンの罪を援護、金を作るために犯罪に手を染め、カルメンに近づく情夫を殺す。挙句の果てには・・・

 

④ 語り手は再び「私」となる。③で語られたドン・ホセの悲恋になにも言及することなく、延々とジプシー論が語られる。うーん……。

 

語り手「私」の存在が、カルメンとドン・ホセの情熱的な悲恋をしらけさせるような。そう思うのは私だけだろうか。