縁もゆかりもないけれど、東北地方は何度も訪れていて、先月の青森~秋田の旅で、太宰治の小説『津軽』の舞台となった地はだいたい巡ることができた。もちろん細々した部分は行けてはいないけれど。

 

 

せっかくなので、何度かに分けて、これまで旅した津軽の地を、小説『津軽』を追いながら書いてみようと思う。

特に太宰の『津軽』のために旅をしていたわけではないのだが、それを読む以前からよく北へ旅をしていた。

 

 

『津軽』は太宰が東京に住んでいた時(昭和19年5~6月)に津軽旅行をしたときの記録でもある。太宰が言うには津軽への旅は5~6月がいいらしい。故郷でもある津軽の旅はとても楽しかったようだ。

 

太宰が描いた津軽の地図。

見ていると、全部行ったことあるな。

 

『津軽』序編には、浅虫温泉や大鰐温泉のこと、そして高校時代に下宿していた弘前のことが描かれてある。

 

 

弘前を訪れたのは今回で2度目。写真のデータを見たら2015年に弘前城を訪れている。そんな前でもないと思っていたらもう9年前だって。あの時から9才も年取ったと思うと……コワイー😱

 

その時、弘前城本丸は石垣の大修理が行われていた。修理中かあと思ったけれど、100年ぶりの大修理とあったから、この姿も貴重だったのかも。

 

2015年の写真

 

地震による崩落をふせぐため、100年ぶりの大修理と記載がされてあった。

 

 

 

あれは春の夕暮れだったと記憶しているが、弘前高等学校の文科生だった私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に建って、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひっそりと展開しているのに気がつき、ぞっとした事がある。(28)

 

岩木山を眺望した弘前城。(写真はJR東日本HPより)

 

『津軽』執筆当時と現在と景色が同じわけではないだろうが位置関係は同じだし、下記引用を読むと現在とさして変わっていない気もする。

しかし、こんなきれいな景色を見て「ぞっとした事がある」と書かれてあるが……なにやら気づきがあったようだ。

 

見よ、お城のすぐ下に、私のいままで見たこともない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめてひっそりうずくまっていたのだ。ああ、こんなところにも町があった。年少の私は夢を見るような気持ちで思わず深い溜息をもらしたのである。(28)

 

これまで思い込んでいた弘前城とは別の弘前城を知り、それを「隠沼(こもりぬ)」のようだと述べていた。

隠沼のほとりに万朶の花が咲く、今でこそ桜の名所になっている弘前城。

よく知っていると思っている場所でも、見方によっては思わぬ発見があって、そういう見方ができる人もいればできない人もいる。またそれに対して何か気づき感動できる人もいれば、特に感じない人もいるわけで、太宰はそういう部分に気づき感じる人なんだろうと思う。または、離れていたからこそ改めて気づいたのかもしれない。

 

 

ちなみに、先月の弘前城の前には雪で作られた「辰」があった。なぜか古い感じがしてぼやけてるけど、先月2月の写真~。

 

今回は列車の時間もあったため、城敷地内には入らず素通り。

弘前城へは行かずに、太宰が高校時代に実際に下宿していた家、現在は小さい博物館にもなっている「太宰治まなびの家」を訪れることにした。

しかし、長くなりそうなので次の記事にする。

 

やばい……「序」だけでこんな書いちゃって、先が思いやられる。。。

 
 
 
 
🍎おまけ🍎
 
せっかくなので、ルネサンス風の佇まいである旧弘前図書館へも行ったので載せておく。
この辺りには他にもレトロな建物や喫茶店があるから、またいつかゆっくり見学したいな。
 

 
図書館所蔵の古~い本も気になるところ。
 

 こんなマップがあったよ。

 

 

ではまた。

お読みいただきありがとうございました。

(*' ')*, ,)✨ペコリ