何千もの異なる人々に読まれる本は、何千もの異なる物語が生まれる本である。

タルコフスキーのことば

 

 

 

 

それは霧に包まれた草原の風景から始まる。どことなく漂う不穏な感じは、郷愁という病の始まりのような予感を感じさせる。

 

 

1983年の映画だけれど、ぜひ映画館で見たいと思っていていた作品だったのだ。

大きなスクリーンで鑑賞できてよかった!

覚悟していったけれど、やっぱり難解だった。

それでも、人間の内面を映像化したような、さらには精神世界に迷い込んでしまったような映像には魅入ってしまった。ある意味ホラー感も感じた。

闇と薄い光、水と火が効果的に使われていて、美術館さながらの(映像が静止するような場面が時々出現するので美術館で鑑賞しているような気分にもなれたりした)、あの芸術的な映像をもう一度観に行きたい。

 

普段はあまり買わないパンフレットも買ってみた。よかった。

 

 
映画館には、各国のポスターなども展示されてあった。
 

上段:ポーランド、ロシア、イタリア

下段:フランス、日本、日本

 

ポーランドが謎。

ロシア、ピサの斜塔を蝋燭に見立てている…。

 

 

 

 

内容に触れながら所感をつらつら書いていく。

(わけ分かんないこと書いてると思うので適当に飛ばしてください~)

 

 

舞台はイタリア。ロシアから来た詩人アンドレイ通訳者エウジェニアは、ロシア人音楽家サスノフスキーの足跡を辿ってこの地に到着したようだ。

 

 

アンドレイとエウジェニアの関係性がイマイチ謎だった。アンドレイには妻がいるのだが、エウジェニアがやたら感情的になる場面がある。

なかなか振り向いてくれない男に対する女の欲求不満?または過去に関係が?

 

 

ところで、音楽家サスノフスキーとは? 誰だろうって思っていたけれど、どうやら架空の人物で、パンフレットによると、マクシム・ベレゾフスキーをモデルにしているのこと。しかし結局知らない作曲家だった。。

とはいえ、アンドレイが熱心に追い続けているのだから、もしかしたら彼と似たような面を持つ音楽家なのかもしれない。

 

 

 

音楽家サスノフスキーをめぐる旅。

古い村にある教会では、女性信者たち一心に聖母像に祈りをささげている。

 

 

信者が観音開きの扉を開けた途端、とつぜん大量の鳩が勢いよく飛び立ったシーンには、意表を突かれてギョッとしてしまった。ああいう宗教的な風習が? または聖書にそのような場面があったりするのかな?

 

その後、もくもくと湯気が立ち上る温泉地をめぐる。

そこでアンドレイはある男と出会う。ドメニコというその男は、人々から狂人扱いされている人物。世界の終末が訪れたと頑なに信じているのだ。

そんな狂人ドメニコに惹かれたアンドレイは彼の家(といっても廃墟)へ。

 

 

ドメニコの家(廃墟)の中で繰り広げられる映像がまたすごかった!

まず目に留まるのが「1+1=1」とかいう、これまた難解な数式。どうやらこのドミニコという男は数学者?

この数式には『ノスタルジア』という作品自体に、きっと何らかの意味をもたらしているのだろうけれど、ちょっと分からなかった。。

ということで、パンフレットを読んでみると以下のようなことが書かれてあった。

 

須藤健太郎氏による解説を引用。

いうまでもなく、これはアンドレイとドミニコが理想とする世界の原理を表わす数式である。

 

どういうことかと言えば、たぶんこうだろう。

ドミニコは大演説後に焼身自殺をするんだけれど、その彼の狂信的行為を「1」とする。

そして、ドミニコに促されてアンドレイが意味不明な行動をする(蠟燭を持ち、火を消さないように湯が抜かれた温泉浴場の端から端まで歩くという…)。ある意味、儀式的行為なのかもしれないけど、それを「1」とする。

彼らがこれらの行為を全うすれば(1+1)、理想とする世界(=1)が訪れるという数式だったのだろう。

 

つまり、ドミニコとアンドレイの2つの行為で1つの理想とする世界ができあがるから、「1+1=1」。

なるほど~。…って、こんなのふつうに観てたら分からねーー!

 

 

ドミニコ焼身後、すかさずベートーヴェンが流れる。。

 

 

さらに、

ここでは過去や現在や未来といった時制の区別は意味をなさない。世界がばらばらに切り離される前にあったかもしれない、「1+1=1」が成立する時空間。『ノスタルジア』とはそんな故郷に対する郷愁のことである。

 

そういえば、ここでのアンドレイは大人の男性であったけれど、鏡を覗くと突然じーさんが映ったり、時には少年がいたり、意味不明な場面が所々あった。しかしこれが「時制の区別は意味をなさない」ってことを言っていたのかも。

だから、女性も同じことで、アンドレイの妻らしき人が出てきたり、母や娘の姿も出てきたり、突然謎の少女も出てきたりしたけれど、彼女たちは全員おなじ…?

 

そう考えると、「1+1+1+1…=1」にもなる気がする!

 

 

この作品の霧深い世界は、故郷(ロシア)なのか現実(イタリア)なのか、過去なのか現在なのか、はたまた未来なのか…、ずーっと曖昧な感じ。その曖昧さを数式に表すとこうなるってことかな。

もしかしたら、こういうことなのかも?

 

故郷ロシア+現在イタリア=ノスタルジア=1+1=1

 

は?って思われそうだけど、映画鑑賞の後で考えたらこうなった。汗。

だから、故郷に対する郷愁「ノスタルジア」は、この数式が成立する時空間なのだ。

 

 

郷愁を感じながら過去と今との曖昧な空間に迷い込んだみたい。

死?生?これは理想の世界?