ユイスマンス『さかしま』、以前途中まで読んでいてそれっきり時間が経ってしまったので、はじめから読み直した。
この記事を書き終えた今改めて考えてみると、なかなかユニークでおもしろい本だった。マニアックで。それに「デカダンスの聖書」とか言われているようで、なんかすごい。
ブログは私の自己満足の場だけれど、こうして振り返って書き出していくと、作品の魅力に改めて気づくことが多い。この記事を書いたら『さかしま』が読了時よりも好きになったのはたしか。
訳は澁澤龍彦だけど、澁澤の解説もしつこくてなかなかだった。ユイスマンスの難解な原文を34歳の時に訳したんだって。すごいね。
登場人物はデ・ゼッサントひとりだけ。召使とかは出て来るけどね。
ゼッサントはひきこもりのプロフェッショナルだった。それもかなり裕福なひきこもり。
だから、超こだわりぬいた理想の趣味部屋(もはや桃源郷?)を作っちゃったりして、ある意味でうらやましくもあるけど、結果的にあまりそう思えなかったのは、ラストのせいかも。ラストはちょっと拍子抜けだったかなー。
以下、内容に触れながらの感想。
ゼッサントはとにかくこだわりが強すぎる人で、それは偏執狂的。性格も気難しい。それに、世の中の人間のほとんどを侮蔑している。ひきこもるまでの人生で、ある程度人と接してはきたものの、彼の中では世の中は大部分が無頼漢と低能児から成り立っているという結果となり、自分と同等の知性にめぐりあうこと、なによりも趣味が合う人間を見つけることが到底かなわないと悟ってしまったのだ(そりゃあそうかもねえ…)。
だから、都会(パリ)を離れ、郊外(フォントネー)に家を買い、独りきりの隠遁生活をはじめる。部屋には、彼独自の好みで集めた美術品や空想によって自分の部屋に小宇宙をつくる。
フォントネーの家には、ゼッサント独特のユニークな世界が盛りだくさんで、読んでいておもしろかった。
例えば、カメ🐢。
自分の部屋に敷いた鮮やかな色彩の絨毯がひきたつように、なにか動くものが欲しいということで決めたのがカメ。甲羅や鱗部分に宝石を埋め込み、キラキラと輝くカメをジッと眺めて至福の時を感じる。
しかし、その宝石が重荷となってカメは死んでしまう…(カメにとってはいい迷惑)。
例えば、口中オルガン👄。
食堂には酒樽がずらりと並んでいる。ボタンを押すと酒が滴りおちる仕組みになっているのだが、一滴一滴異なるその味わいによって、口の中で交響曲が響くのだ。
例えば辛口のキュラソーはクラリネット、桜桃酒はトランペット、ウイスキーはトロンボーン、ブランデーはチューバ…といった感じ。その表現の仕方は、ソムリエ顔負けだよ!
しかし、交響曲を奏でるには、昔のオルガンよりも現代の電子オルガン(エレクトーン)のほうが合っている。だから、口中エレクトーンとしよう。
しかし、音楽を語る割には、ゼッサントは他の芸術と比べ音楽は理解し難いという謙虚な?一面もあった。
どうにか楽譜を読めるようにはなったようだが、理論は全く分からないため洗練した楽しみを得ることができないらしい(分からない方が楽しめる気もするけど)。
また、音楽は家でひとりで楽しむことが難しく、コンサートホールへ赴かねばならない。人が大勢いるような大衆的な場へ行くのは億劫だと。
現代なんて家の中でいくらでも聴けるし、是非現代にタイムスリップしてほしい。
その他、絵画ではギュスターブ・モロオ「サロメ」、ヤン・ロケイン「宗教的迫害」などを好み、花々では妖しげで奇態な植物を好んでいた。
例えば「キュプリペディウム」とか、なんだかよう分からん植物の名前を延々と語るから、ちょっと嫌になりかけたけれど、ネットで調べてみたら、なるほど奇妙で変に艶やかな色気があって妖しい植物だった…。
キュプリペディウムを調べてみた…。ツヤツヤしてて何とも…。
あと、神学についてもちくちく語っていたけれど、ほぼ分からなくて、澁澤の解説を読んでみたけれどこれまたしつこかった。結局よく分からん。
さらに詩や文学についても語っていた。ポーやマラルメ、さらにボードレールにはとりわけ強い魅力が書かれてあった。
しかし、孤独に耐えられない瞬間もあった!
かつてはあれほど希求した世俗から切り離した隠遁生活。ついに孤独を手にしたというのに、ある瞬間にそれが恐ろしい苦痛だと感じてしまうのだ。あのゼッサントが!他人を散々侮蔑していたゼッサントが、誰かと話したいとか人間の顔が見たいとか思い始める…!
人恋しさに旅に出たりもするのだ。
ということで、、、
いざ、霧深きロンドンへ!(18世紀頃)
重い腰を上げてロンドンへ行ったはいいが、禿げたイギリス人が気に入らなかったのか、料理店にどやどやと客が入ってきたのが気に入らなかったのか、歯ブラシを忘れてきたのが気に入らなかったのか、とにかく想像していた場所と違っていたみたい。
猛烈な嫌悪感が沸き上がり、すぐに家に帰ってしまうという。。。笑。
そんな、なんだか憎めない部分も(ごくわずかだが)あったものの、ラストは、、、ちょっと待ってよーと思った。
引きこもり生活で不健康になっていたゼッサントは、自分の健康のためにパリに帰り人並みの生活を送るという。帰るのー?帰っちゃうのー?? 読んでいた私がゼッサントに裏切られた気分になったりした。健康って…。
彼は厭世感を醸し出していたけれど、よく考えてみるとそうでもなかったな。厭世主義の理論も何らの慰安とはならなかったみたいだし、結局は信仰にすがってしまうのだろうか。
個人的には、あのまま、彼がこだわり作り上げた人工的な桃源郷の中で、神経症に蝕まれながらも退廃美に囲まれて血を吐きながら死んでほしかったと思いつつ、、、
気づいてみれば…もう年の瀬が…ぁ。