美容院へ行って、ヘアエステして髪を切ってもらった。短くなった。
髪がきれいになっていい気分になったので、このまま帰るのももったいない気がして、雰囲気のいいカフェに入った。
せっかくだから何か食べようと思ったけど、心惹かれるものがなくてラテだけ注文した。
お供は、室生犀星の詩集。
入った時はお客さんがいなくて、ひとり静かに詩集を読んでいたけれど、しばらくすると一組、二組、三組…と、女性同士のお客さんが立て続けに何組も入って来た。
あっという間に賑やかな空間に。世界が変わってしまった。
それぞれが友達同士のようで、何かが楽しいようで手を叩いて笑ったり、お互いのものを褒め合ったり、スイーツと自分を入れた写真をキメのポーズで撮ったり、楽しそうに話している。
瞬間、私のもとにひとひらの孤独が舞い降りて来て、妙に戸惑った。…
友達とのお喋りよりも、ひとりの読書を自分で選んでいるんだから、普段は気にすることないんだけれど、時々こういうのが舞い降りてくるときがある。
20代くらいの若い女性から40代くらいの女性まで、友達同士でやけに楽しそうに話しているのを見ていたら、手元の本がなかなか読めなくなってしまった。
出ようと思って本を閉じようとしたけれど、、
その時、開いていたページの詩が「赤城山にて」というタイトルだった。
自分は今きたないものを弾き飛ばす
自分はこの美のなかに呼吸する
自分の頬にはじめて
微笑みが乗りうつる
ひとりきりで生きて来た
勝利を感じる
ひとりきりでいたことに
勇敢を顧る
・・・
詩の最後、小さい文字で補足のように書かれてあったことば。
美しいものはいつでも孤独の中にある。群集は美を会得しません。彼は自分を導く宗教を持たないからです。ロダンの言葉。クラデル女史。
ロダンのことば、勝手ながら自分に言ってくれているみたいな気がして、なんか苦笑しちゃった。
この部分に付箋をつけてから、もう冷めてしまったラテを飲みほし、カフェを出て、別のお店でドーナツを買って帰った。
家で食べようと思う。
余分に買ったから、分けてあげようとも思う
仕事もしようと思う。