風邪が流行っているようで、私も流行にのってしまったもよう。

家で料理してちゃんと食べていっぱい寝て、本を読んだり映画を観たりしました…予防

 

 

 

で、、、また渋いものを観てしまった……。

実はここ最近、2.26事件にやたら詳しい女子となってしまい、なんだか変わった人だと思われそうな予感だけど、『226』という映画を観た~。

 

 

226

 

 

そもそものきっかけは、三島由紀夫の『英霊の聲』『憂国』など「二・二六事件三部作」を読んだのがきっかけ。

 

英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)

 

 

この歴史的事実に関しては、学生の頃授業で昔習った気がする(青年将校のクーデター)くらいの知識しか持ち合わせてなかったけれど、本や資料集を読んでいるうちにあまりにドラマチックで熱く、切なくもあり、おバカ(純粋、詰めが甘い)でもあり、色々な考えが入り混じってしまい…読み耽ってしまった…。

 

 

図書館で色々借りて来て読んだ…

 

 

例によって(?)、なかなかこういう話で盛り上がってくれる人が周囲にいないため(むしろ、天皇討奸を掲げて蹶起した青年将校がどーのと話し始めたら、変な女だと思われかねないし…)、ゆえに、この場に書き散らすわけであります…。

 

 

湯河原温泉寄留中の牧野元内府を襲撃した河野大尉(本木雅弘)

 

 

映画『226』、個人的にはよい作品だったと思う~。

ただ、歴史的な背景が分かってないとチンプンカンプンかも。2.26事件の前後関係も全く説明されないので、政府要人の屋敷襲撃が唐突に感じたりするかも~。

あと人物の名前とかハテナになるかも~。教科書に出て来ない人もたくさん出て来るからね。

 

マニアックなんだけど、私は事件決行主要人物たちの名前、写真、生い立ちや世辞の句まで読んでたので(汗)、興味深く観られた。

 

 

俳優さんたちも有名な方々が、若かりし姿で出演されていたけれど、お洒落でイケメンであった中橋基明中尉の役が、うじきつよしさんで、なんだかちょっとイメージ崩れたりはした~(すみません)。

安藤輝三大尉は、三浦友和さんで合ってた。部下から慕われていた人で細かいエピソードとかもその通りでよかった。彼は最後に銃弾自殺するも未遂になるんだけれど、そのシーンは無かった。でも私はその方がよかった。

 

あと、大尉や中尉たちの妻子の感傷的な回想シーンは長すぎ。あんなにいらんでしょ~。

 

 

昭和11年2月26日、雪の中というドラマチックな中での決起…

 

 

2.26事件は、日本国を憂いた皇道派の若者将校たちが決起、乱れた世の中を正すために昭和維新を唱え、天皇の御為にと過激なクーデターを起こす。

ただ、決起終了後どうするかなどの計画は綿密に立てていなかったようだ。上層部を信頼しきっていたため、俺達が決行すれば後は上がどうにかしてくれるはずだ!と任せきっていたのだろうけれど、やっぱり詰めが甘いと思ってしまう。

しかし同時に、彼らも悲しい被害者だとも思う。なぜならば、彼らは上層部に利用されたとも言えそうだから。派閥抗争に。2.26事件をきっかけに幕僚派は政治の主導権を握り始めている。おまけに皇道派頭は決起を黙認していたはずだが、知らなかったと無罪となっている。

 

 

「天皇討奸」とスローガンを掲げ、私利私欲に走る政治家たち(…というか西欧派であった要人)を排除し、天皇の世にするために、さらには飢餓に喘ぐ農村を救うために、日本国のために…と、雪の降る寒い深夜に命をかけて決行するわけだ。

しかしその結果、天皇の猛烈な反感をくらい逆賊の汚名をきせられてしまう…。

 

映画でも、天皇の勅令が出た後の将校の沈み具合は、なんだかもう無念だった。

真摯に天皇の御為と思って、我が身を捧げてきた彼らだったからね。

 

 

(『図説2.26事件』河出書房新社より)

 

 

 

ちなみに、三島由紀夫は「『道徳的革命』の論理」で、もし二・二六事件が成功していたならばとして、以下のように言及したようだ。

「勝利者としての外国の軍事力を借りることなく、日本民族自らの手で、農地改革が成就していたにちがいない」

(平野啓一郎『三島由紀夫論』より)

 

 

平塚柾緒『二・二六事件』には、このようにも。

そして彼ら(幕僚派)は、事件を起こした青年将校たちが救おうとしていた農民や一般庶民を犠牲にすることで、戦争を遂行していったのである。

 

 

 

彼らは無念で悲しく、純粋のあまりの行動だったと嘆かわしく思い、どうにかして報われてほしいと思うけれど、遂行後の計画の杜撰な部分や、経験不足だったり感情だけで動く部分を感じ、もう少し別の決起の方法はなかったのだろうかと考えてしまう。

でも、革命は狂わないと起こせない、という将校の言葉が印象に残っていて、こういう熱い血が流れる先人が、同じ日本人として確かにいたんだなあとも思う。

 

 

我れ狂か愚か知らず

一路遂に奔騰するのみ

野中史郎大尉の遺書に記された一首)

 

 

 

ということで‥‥‥、

なんか語り足りないけれど、あまりマニアックなこと書くとちょっとアレだし、読むの面倒になっちゃうので、この辺にしておきまーす。汗汗。滝汗

 

 

 

※ドバーっと書いたので、後で修正するかも。