中上健次の『十八歳、海へ』は、何年も前に友人から借りた…のか、もらったのか忘れたけれど…(汗)、ずっと私の本棚にある。当時パラパラと読んではみたものの、作風が好みでなかったのか内容が好きじゃなかったのか読めずにいて、ずっと放置されていた。

ずいぶんと時が経ち、ようやく読んでみた。すらすらと読めてしまった。

 

多感な10代20代の若者の憂鬱が描かれているけれど、先日読んだ『蛇淫』の土俗的な力強さと比べると、ずいぶんと危うい繊細さが感じられると同時に陶酔的な詩情を感じた。

雰囲気が異なる印象で少し驚いた。若い頃の作品のせいかな。

 

参考

 

 

若さはあまりに、酷すぎる。

(MESSAGE '77より)

 

生きていると、若くても若くなくてもそれぞれの年代で物思いに沈んだり何らかの形で感傷的な気分に陥る時があるのだろうけれど、10代20代30代…、若い頃はそれが「憂鬱」で済むけれど、だんだんと年齢を重ねると、感傷の在り方が「憂鬱」ということばでは済まされずに「絶望」に変わってくる気もしないでもない。選択肢が目に見えて狭まってくるし、腰は痛くなるし、お肌のハリも…(切実)。

そんな私は、現在憂鬱から絶望へと変化する多感な?時期を雅やかに微睡みながら過ごしている(つもり)。

感傷の在り方は、いつの日か訪れるであろう更年期?を経て「諦念」に変わっていくのかもしれない…。なんてねー。

 

 

 

 

『十八歳、海へ』は以下六篇の作品が収録されている。

下線の作品だけ所感を書いた。

  1. 十八歳
  2. JAZZ
  3. 隆男と美津子
  4. 愛のような
  5. 不満足
  6. 眠りの日々
  7. 海へ

さらに、中上健次の「MESSAGE '77」があり、作品解説は津島佑子だった。

 

 

 

『隆男と美津子』は、退廃的な日々を送る若者が「心中未遂業」とかいうユニークで危険なビジネスでお金を稼ごうとしている話。だが、本来の目的は別にあったようだ。

現代も、アイディア次第で多くのユニークなビジネスが成立しているなぁなんて思う。「レンタル〇〇」とか「〇〇代行」とか色々と。他にも何かおもしろそうなことあるかなー。

 

 

『愛のような』は、健康な若い青年の妄想が留まるところを知らずにどんどんと加速し、おかしな方向に広がり続けていくという、ちょっと異色な感じが漂う。

過去を振り返ってみればどうってことないことだって、その時その渦中にいる自分にとっては、とても重大な状況なわけだから、単に、病んでる!変人!最低!などと言って済ますこともできないとも思う。

僕は不安だった。僕は僕の日常生活に満足していたが、不安だった。

俺は健康で男らしい体をもっている、そう確認してみても僕の体の奥に入り込んでいる不安の柔らかいかたまりは溶けてしまわなかった。

きっと成長と共に、彼の「不安」は消えていくものなのだろう。ただ、大人になるにつれ、まったく別の新たな「不安」要素がいくつでも出て来るだろうけれど。

 

 

『海へ』は、詩的だけれど、ナルシスティックな人格が酔っぱらって描いている感じもする。海を相手にやたら感傷的で欲情的ではあるが、何かを必死に模索しているようでもある。

全体的に自己の生い立ちの不幸自慢のようではあるものの、こういうのを読んでると私はどこか安心する。

僕にとって過去が何だと言うのだ。まやかしものの過去を俗物どもは真鍮の指輪みたいにはめて街を歩きつづけるだろう。

 

さてと。真鍮の指輪なんてせずに街を歩きつづけてみようかな。