八月の光…、今年の八月の光は例年以上に容赦なく照り、日傘なしで歩けないほど。外へ出る気力も失せてしまう。

そんな中で読んだフォークナーの小説。

 

 

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人の道は生まれる前からすでに決められていて、自ら道を切り開くとか選ぶとか、そんなことは不可能か錯覚で、どうしたってその道からは逃れることはできないのだろうか…と感じてしまう作品だった。

 

岩波文庫(諏訪部浩一訳)で読んでいたのだが、ちょっと不明瞭な部分は、光文社から出てる最新訳(黒原敏行訳)で確認という感じで読んでみた。

 

 

 

うちにある黒板。ホワイトボードもあるよ♪

 

 

アメリカ南部を舞台として、現在進行形の話と過去の回想部が雑然的に出てくる群像劇。主とする人物は3人とされているけれど、脇役も結構な重要度。さらに言えば、人物の曖昧な点が感じられ断定的ではないようにも見える。

解説によれば、フォークナーの原文は非常に抽象的らしいのだが、そういう点では光文社の黒原訳は一番新しい版ということもあり、読みやすく書かれていた。

 

 

カフェ読書♪

 

 

単にストーリーを追うだけなら難しくはなかったのだが、この作品はそれだけではすまされない根深いものがあり、そこを考えていくと理解できたかは不明。

 

今我々がここに存在するのは、昔々からの血族がいたわけで、彼らが住居を探し求め、それぞれの地に辿り着いて定住し、そこには信仰があったりもする。そして長い年月をかけて血が受け継がれ我々が誕生したわけだけど、そういう「血」だとか「土地」だとかから逃れられない呪いのようなものをこの作品から感じざるを得なかった。

 

『覚えておくんだ。おまえのお祖父さんとお兄さんがここで眠っている。〔…〕お前が生まれるずっと以前に、神がある人種全体にかけた呪いのために殺されたんだ。その人種は永遠の呪いを受けて、罪を犯した白人に対する呪いとなる運命に定められた。そのことを覚えておくんだ。白人の負っている宿命と呪いのことを。〔…〕今まで生まれた白人の子供も、これから生まれる白人の子供も、みんな呪われている。誰もそこから逃げられないんだ』

 

 

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先ほども書いたように、主要人物は3人。

  • リーナ・グローブ
  • ジョー・クリスマス
  • ゲイル・ハイタワー

しかし他にも、バイロン・パンチジョアナ・バーデンも、主要人物だと思っている。

それぞれの人物を振り返りながら、個人的に感じたことを書くため、内容に触れて書くつもり。

 

 

 

リーナ・グローブ

彼女が出てくる場面は特別多いというわけではないけれど、物語はリーナで始まりリーナで終るということもあり、彼女はこの作品の軸を歩む人物だと思った。

とにかく彼女は前に進む。ここではアラバマからテネシーまで進み続けた。途中で歩みが遅くなったり留まったりすることもあるが、基本的には一筋の基軸を着実に進んでいるように見えた。

 

リーナは恋人に逃げられた妊婦という設定。しかもお腹の中にはその恋人の子が宿っている。

読んでいて、はじめは、夫に捨てられたことを理解せず能天気に夫探しの旅をしているお嬢さんかと思ったが、実は始めから全て分かっていて、あえて彼女自身の道を歩んでいたのかもしれないとも感じている。

 

彼女の素直な性格と、傍から見れば恋人に捨てられた不幸な妊婦さんという出立で、出会う人々からは同情心を持たれ親切にされることが多く、彼女もそれをありがたく受け入れて進んでいく。

天真爛漫というかなんというか、こういう風に生きられるのは天性のものなのだろうか。彼女はこれからもさらに進んでいける人なのだろう。

 

まあまあ。人間ってほんどうにあちこち行けるものなのね。アラバマを出てまだふた月なのに、もうテネシーだなんて。

 

 

 

ジョー・クリスマス

作品中、彼が最も色濃く描かれていた気がする。出生から幼少期を経て青年期、そして死。沸点の低い悲劇の人。

彼は全て壊してしまう。もしかしたら大切だったかもしれない人も、たくさん壊して進んでいく…ようだが進んでいない。

リーナは確実に前に進めているけれど、クリスマスは壊すだけ壊して前に進んでいない。進んでもまた元の場所に戻ってくる感じだ。負のループというか悲劇を繰り返している感じがした。

 

クリスマスは黒人との混血とされており、白人の母は明確だが、父が明確に出てこなかった。母の父(クリスマスの祖父)の思い込み証言のみ。しかもこの証言は謎すぎて真実味が薄いとも見える。そのため本当に混血なのかは何も分からない。

 

ただ、クリスマス自身、自分は半分は黒人なのだと頑なに信じて生きてきた。が、ある出来事によりそれが崩れ、自分が何者か分からなくなってしまう。

それは何気ない娼婦の一言なのだ。事が済んだ後で、自分は黒人なのだと娼婦へ伝えたところ、

「ああ、そう。イタリア系かなんかだと思ったけど」

「それがどうしたのよ。あんた、まあまあ見られる男じゃない」

正直言えば、こんな何気ないことばで人のアイデンティティが壊れてしまうのかと思ったし、ともすれば苦悩が軽減されるとも思えなくもないことばでもあり、こりゃ当事者でなければまったく理解できない事だろうと感じた。

彼にとっては人生を揺るがすといってもいい程の大事な大事な問題だけれど、部外者からしたらなんてことない、問題にすらならないことなのだ。

これは、私にとっても身近な問題でもあるので気をつけなければなんて思った。

 

クリスマスはリーナとは対照的であり、人に優しく手を差しのばされたとしても、その手を取らないどころか、払いのけ、その人自身を攻撃する。誰も信じることはできず孤独にしか生きられない彼の生き方は、読んでいて分かりやすくはあった。

 

俺はこの七日間で、三〇年の間に行ったどこよりも遠くまで行ったんだ。でも円の外には一度も出ることができなかった。俺は自分が今までやってきてもう取り消せないことの輪を破って外に出ることができなかった。

 

 

 

ゲイル・ハイタワー

この人は、謎な部分が多く未だ解明されていない(自分の中で)。

なんだったんだ?

妻に不倫され自殺された元牧師の孤独な爺さん、って一言では片づけられないんだろうけど。

祖父が残した地で人を避けてくらしている。彼はどんなことがあってもこの場所から離れようとしなかった。逃れられない何かがあったのだろうか。祖父がポイントで祖父の幻影から逃れられない様子もうかがえた。

 

リーナは前へ進み、クリスマスは進めないもののグルグルと動いている。一方でハイタワーには動きが感じられなかった。

 

世捨て人のように暮らすハイタワーだったが、ただ一人だけ交流のあるのがバイロンという男性。彼によって、ハイタワーはリータやクリスマスと出会うことになる。静かに暮らしたいものの色々巻き込まれていくのだ。

 

最後のほうでハイタワーの生い立ちが描かれ、現在の人格形成に到るようだが、やはりはっきりとは分からなかった。

訳者の黒原敏行氏解説によればこのような記載があった。

ハイタワーは、子どもの頃から現実から逃避してひたすら書物や幻想の世界で生きていたいと願うような人なのだ。〔…〕

彼が孤独な隠遁生活に追い込まれたのは、アメリカ南部の特殊性に由来する町の人々の不寛容のせいというより、結局のところ自身の現実逃避的性格のせいではないのか。

また、ハイタワーの現実逃避的性格は、作者フォークナーの性格を反映している面があるとも述べられていた。

 

現実がなんだかつまらないしイヤだから現実逃避するっていうのは、そんな人は現代の方がたくさんいそうだし、私だってまさにそんな感じだけど、、、ということは将来自分もハイタワーかな。笑。

 

…という感じで自虐風に締めておこう。