『闇の子供たち』は、子供の人身売買や、幼児売春がテーマの重圧的な映画です。
こういうのは、以前からルポタージュ等で目にすることがあるとはいえ、重いテーマとショッキングな映像に、何もできないながらも色々考えさせられます。
監督や演じている人たちの覚悟も感じられる作品でした。
舞台はタイ(バンコク)、身体に纏わりつく湿度や熱気が、においや不衛生さを助長している感じで雰囲気が増します。
資本主義の負の側面によってうみ出されるであろう闇…というか、ひずみ…は、タイに限らず様々な場所にも存在していますよね。
ま、あくまでこの映画はフィクション…ということなんですけどね。しかし、それだけでは終わらせられない感もあります。
"ダメね、もう"
病気(AIDS)になってしまった子供は、商品にならないので、ゴミ袋に入れられ捨てられます。
普通の黒いごみ袋…。
こう思うのです。死んでもなお不条理の波打ち際をさまよわなければいけないひとりぼっちの魂。
あるところでは、大人たちの欲望を満たすために子どもたちが商品として扱われています。いや、商品どころじゃない、その扱いはゴミ以下で残酷です。この世界が残酷だとしたら、真の残酷というのはここだと言ってもいいのかもしれません。
ここにいる子になら何をしてもいいだろうと、外国などから客がやってきて子供を買い、想像もできないようなことが行われています。それはそれはショッキングです……。
だって、いつだって買う人がいるから……。
演じた子役達にも配慮して撮影しないとヤバイのではないだろうかと、心配になってしまうくらいです。
監督によると、そういうシーンは見ないように子供たちの目を瞑らせるとか目隠しをさせていたとか。
それにしても、タイの幼い子供たちの演技がリアルすぎます。。。
商品にされた闇の子供たち。
清潔にされて生まれて初めて綺麗な服を着せられた少女。
「生きている少女」が「生きたまま」医者に引き渡されています。
ここでの見返りは仲介人と医者へ流れるだけなのです。
犠牲の上に救われる命。難しい…。
でもまたここに、ひとりぼっちで不条理の波打ち際をさまよう魂がうまれるのかな。
ここまでの深いひずみを一掃することはできるのでしょうか。ひとつふたつ、表向きは片づけられても、日向があれば必ず日陰は存在するわけで、こびりついたものを全てふき取るのは、正直無理です。もどかしくなりますが、やっぱり……無理だと思います。
ひとつ汚れをふき取っても、この構造にはあまりに深い根がはっています。
ありふれた正義感を振りかざしたり、可哀想だと涙したってあまり意味がないように感じてしまいます。…………いや、そうでもないのか。もしかしたらそこからスタートすることだってあるのか。
ただ、深い闇には想像以上の危険が潜んでいるから、個人レベルではお手上げじゃないかなとも感じます。
そこで大切なことの一つとして、どれだけの事実を我々に伝え、事実を知ることなのかなぁと、報道や記録、カメラの意義を感じました。しかしこれもまた命がけだ。。
そして、ラストォォ!!
ラストのストーリー展開も結構な驚きがあり、またまたショッキングでした。ある意味、最後まで期待を裏切らないというか。
こういう構造を悪と思う人はたくさんいるのでしょうが、安易な正義感では手が出せない世界だと思い知らされます。深淵には支援は届かない。せめてその深みの底上げを願うしかないのでしょうか。資本の世界が作り出す闇と支援の難しさみたいのを感じました。