引き続き、おうちでコクトー映画祭を開催しております!
今回観たのはこちらです。
- 恐るべき親たち
恐るべき親たち
『恐るべき子供たち』といえば、コクトー小説の中で最も有名ですが、『恐るべき親たち』という映画があるのは知りませんでした。
三島由紀夫の評論で、前回観た『双頭の鷲』と同じ系列と述べていたこともあり、観てみました。
そしたら、この作品が私の中で結構ドンピシャでして、、、
ストーリー的には、ドメスティックで、わちゃわちゃしてて、セリフも演技もコメディ風。場面は二つの家だけ、登場人物は5人だけ。今まで見た中では一番規模の小さい作品に思えました。
で、ジャン・マレーがマザコン役に徹し、やたら母性本能くすぐる役柄で(どこか演技がワザとらしいが…)カワイイったらありゃしない!
シャツの着方がおかしい、靴下の履き方がやばい、仕事もろくにしていないからお金はない、全体的にだらしない、泣く、……もう!よしよしと全部やってあげたくなっちゃうよ!(ダメ男をさらにダメにするダメな人)
内容は、こんな感じ。
※VHS画像お借りしました
ジャン・マレー演じるミッシェルというマザコン息子、そして引きこもりで糖尿を患いちょっと鬱傾向、子離れできない母親にイヴォンヌというおばさん。
この母親の気持ちになったら、私はなんだか耐え切れなくてね…。
イヴォンヌのような母親にとって、息子は世界の全て。親子でも永遠の恋人。情けなくたってだらしなくたって、どんな姿も愛おしい。
でも息子は成長するのです。親は息子を手放さなければならないのです。分かっているけれど、これだけ息子を溺愛してしまった母親にとってはとても困難な試練です。
痛い思いをして生んで、分からないまま必死に育て、時には息子と泣いて。どんなに情けなくても…いや、情けないからこそ愛しい存在。
しかし、時間の経過とともに自分は老い、息子は成長していく。少年になり青年になり、やがて恋をするでしょう。
母親のイヴォンヌは、そんな現実をなかなか受け入れることができなかったのです。
特に彼女の場合はドメスティックで、社会との繋がりがなく、世界はあまりに閉鎖的で家族だけだったのです。いや、息子だけだったのです。
彼女には夫も同居の姉もいますが、あまりの息子溺愛ぶりに夫は外に若い女を作ります(この女の因果)。そして姉は独身ですが、実は妹(イヴォンヌ)の夫を愛していました。イヴォンヌは全て承知の上でも平気です。私には息子がいる。優しい息子はずっと私の味方だからと。
成長がいちいち嬉しかった時代だってあっただろうに、成長に戸惑いや寂しさを感じる時期はいつからだったのだろう…。
何事もバランスが大事だなぁとしみじみ思う。でもそれに頼りっきりになっちゃうのはなんか分かるなあ。彼女には選択肢がないんだよ。
母も息子もいい年だけどずっと仲良し。だけど、
恋人の存在を明かされ、表情が変わっていく母。
もちろん息子の幸せを願っているし、苦しめるのは嫌だけれど、自分が可哀そうだと思ってしまう母。
息子に甘えすぎて、気づけばこの母は幼い子どものようになっていたのでしょう。家事も満足にできていません。子離れどころか相手の女性に嫉妬をしてしまう状況。
息子の幸福を願い、送り出すという試練に耐えるには、彼女の世界は閉鎖的過ぎたのだと思います。
息子は愛する人と結ばれて幸せそうだけれど、やっぱり耐えられない。この幸福を全て壊してしまいたくなる気持ち…😭
↑色々あったけれど、息子が愛する人と結ばれ、夫も姉も安心している場面。しかし母親は…
幸せそうな家族の姿を見ながら後ずさりしている母親の姿に感情移入してしまいます…😭
自分がいなくなれば、みんな幸せになるんだ的な。
『恐るべき親たち』は「大人の都合で若者を振り回す恐ろしい親たち」なのでしょうが、私には「閉鎖的な世界で息子を溺愛しすぎた孤独な母親の末路」っていう印象が強かったです。
これは「毒親」に該当しますか。そうであっても、これから訪れるであろう底知れぬ虚無感に耐えられなかったのかな…と切なく思ってしまいました。
いや~、しかしだね、もし私がこの母親だったとしても相手の女性とは結婚させたくないね。いくら美人で器量が良くても。
なぜならば、、さらっとネタバレしちゃいますけどね、夫の浮気女のおさがりなんて息子が不憫で泣けてきますよ。だって夫と女の間に秘密ができるでしょ。息子だけが知らない秘密が。そんな何も知らないで能天気な息子の姿を見ているのは、いい年してシャツが上手に着られない姿よりずっと情けなく感じますよ。
え?本気で愛しちゃったから仕方ない?だったらせめて、息子にきちんと二人の関係を明かしてほしいですよ。
まったく親子そろって女の好みが同じだとやっかいだ。(感情移入しすぎてる人)
ちなみに、このパターンが男女逆転するとどうかな。世界が変わってコメディ要素がなくなってくるかもなぁ。