『桜桃』太宰治

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「子供より親が大事、と思いたい」

 

『桜桃』を読むまで、このフレーズは、自分の子どもより自分の親を大事だと思いたい、という意味だと思っていた。

・・・ちがった。

 

よく考えてみたら、太宰治は親の愛情をあまり感じていなかったはずだから、自分の子どもよりも親を大事に思いたい、というのもなんだかおかしいな、と思う。

太宰は子だくさん家族の子どもの一人。

両親は離れて暮らしている時もあって、幼き頃の両親の思い出はあまりない。

むしろ叔母との思い出の方がたくさんある。

叔母に昔話を読んでもらったりとか。

女中の存在もあるね。

「修ちゃ」って呼ばれていたよ。(本名津島修治)

 

その叔母の存在は太宰文学に大きく影響しているのだろう。

そして、この時代は長男に重きを置いて育てる。

10番目の子として生まれた太宰はそこまで目をかけて育てられていない。

 

という理由もあり、親を大事はおかしい。むしろ反抗していたはずだから。

 

『桜桃』読んでみたら、親、とは自分のことだった。

要するに子どもがいる親。

自分の子どもよりも、自分を大事だと思いたい、という意味。

あぁ、なるほど、太宰らしい…。

 

 

今日6月19日は桜桃忌です。

太宰治の誕生日。この日には何を書こうかと思ったけど、やっぱり『桜桃』かな。

ちなみに6月20日は自分の誕生日。おめでとう、自分。。

 

この作品の主人公はまたもやダメ人間の「私」

やはり小説家。

妻子がいるものの、家のことは一切やらず、お金は酒に使うという同じみの人物。

家庭では常に楽しい雰囲気を作るよう、冗談を言っている。

家庭だけではなく、人と会うときは場を楽しくし、別れた後でどっと疲れる。

疲れるどころか、自殺を考える。

「私」は、太宰という作家にもさげずまれているらしい。

ここでは太宰という作家が別にいる設定になっているようだけど、まさに自分で自分をさげずんでいる。自虐。

 

家庭で冗談をいうものの、これがうわべだけ、と言うことを知っている。

夫婦はお互いに不満がある。

多くは夫の非協力的な態度とお金が原因か。

不満を隠すように取り繕っている。

私が冗談を言えば、妻はうわべで笑う。

 

しかし、あるとき妻の言った本音「涙の谷」に対しては冗談を切り返せなくなる。

沈黙。

「泣いているのはお前だけではない、おれだって、お前に負けず、子どものことは考えている。

自分の子どもは大事だと思っている。」

こうは思っているのだが…。

 

妻の妹は重病であり、妻は看病に行きたい。

でも妻が看病に行くと、「私」が子守をしなければいけない。

「私」は黙って外に出てしまう。

行先は飲み屋。

逃げてしまう。

そこでこう思う。

「子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親の方が弱いのだ」

「生きると言う事は、大変な事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと血が噴き出す」

 

 

飲み屋で桜桃(さくらんぼ)が出た。

子どもは桜桃など知らないかもしれない。

父が持って帰ったら家族は喜ぶだろう。

でも、父は桜桃を極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き…。

「子供より親が大事」

と思うんです。

 

極めてまずそうに食べる所がポイントで、桜桃をおいしそうに食べるのはバツが悪い。

まずそうに食べることによって、自分の中でいいわけしている感じがします。

・・・うーん、いいわけとは少し違うかも。

もはや、そうしなければならない。まずそうに食べなくてはいけない、義務感。そう感じる。

なぜならば、太宰治という小説家だから。

 

おそらく持論があって、小説を書くにはこのような破滅的な生活を送らなければいけない。

一般的には分からない真理(真理!!)がある。

 

サクランボをお土産に持って帰りたい。そんなこと分かっている。でも自分で全部食べなくてはならない。

お酒は飲みたくない。うまくもない。でも無理して飲まなければいけない。

妻に少しばかりお金を渡して雨漏りした家をなおしてやりたい。でも酒と女にお金を使わなくてはならない。

 

普通は理解できないし言い訳と聞こえるかもしれないけれど、命をかけて小説を書くにはこうしなくてはいけない。

こういう風なデカダン的持論を訴える作品は太宰文学にはたくさんあるよね。

私もそうだけれど、そういう所に共感できるからファンが多くいるのじゃあないかな。

 

『桜桃』って文庫でもあるけど280円で買える。

私は全集持ってるから買ってないけど、こんな金額で読めるんだね。

他にも『ヴィヨンの妻』とか傑作短編のってる。

青空文庫でも読めるけど、こっちには年表とか解説ものってたかな?