本当は信心する気持ちもないのに念仏をとなえるのは、となえようという気持ちが ないのだからせいぜい三回続ければよいほうで、あとは続かないだろうということ。
つけ焼刃は長続きしないことのたとえにいう。
(「実用ことわざ小事典」永岡書店より)
付け焼刃:
①にわかじこみ。まにあわせ。
②入れ知恵。
(角川国語辞典より)
そうなんでしょうね!
信心する気持ちが、ないのに、親や上の方から
「信心せんかぃ!」と云われても自分で納得してなければ仕方なくするんだわなぁ…。
そういうことってないだろか?
?
私は昔、亡き父から、二言目には「勉強しろ!」なんだけど…。
その反対に自分の一番関心が、あることをすることって必死にならないだろうか?
?
自分の置かれた状況や、周囲が、どう思っていようとお構いなく…。
せっかく人間として生を受けているんだから寿命まで色々な事を経験するのって大切なことだと、思う。
そうこうしているうちに周りの人との関係に対して感謝の気持ちやいろんな知識を得るのだと思う。
そして寿命が、つきそうになってきたら人生の最後は「信心」って…、そういう都合よく考えてる人間って私だけ?
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