5年ぶりの参加でした。
この日のために5時起きの練習をしていざ本番。
4時に起きましたww
越後湯沢駅に到着。
そこからはバス。
参加者は年配のご夫婦や友人同士や意外と1人参加もたくさんいた。
まずは車窓から三国街道塩沢宿の牧之通りを見学。
鈴木牧之
鈴木 牧之(すずき ぼくし、明和7年1月27日(1770年2月22日) - 天保13年5月15日(1842年6月23日))は、江戸時代後期の商人、随筆家。幼名は弥太郎。通称は儀三治(ぎそうじ)。牧之は俳号。屋号は「鈴木屋」。雅号は他に「秋月庵」「螺耳」など。父は鈴木恒右衛門(俳号は「牧水」)、母はとよ。
wiki参照
が住んでいた通りで別名がんぎ通り。
雪が降ってもがんぎがあればその下は雪かきをしなくていいという算段。
この牧之が住んでいた家が今は酒屋になっていて表に立派な看板の周りの彫り物をしてるのが石川雲蝶。
バスは八海山龍谷寺に到着。
外観は築地本願寺みたいなあの感じ。
ハワイととても縁があるお寺さんだそう。
欄間には麒麟2体
バク2体
唐獅子の親子2組とボタン
透かし彫りがお見事すぎてマジでため息しかでん。
手が入らなそうなところまで繊細に彫ってある。
マジでどうやってんの。。。
石川雲蝶は元々雑司ヶ谷に住んでいたんだけど、江戸で雲蝶をスカウトしたのがノミとか作ってた金物屋だったからどんな道具でも作ってあげていたそうで通常の工具箱の3倍の量を持っていたんだって。
刃先がすごい長いのとかちょっとだけ曲がってるのとかそこにしか使わないようなニッチな道具もたくさん持ってたんだろうな。
それも見たい!
あと雲蝶は手も小さくて、
だからあんなに細かく彫れたのかもなと思う。
奥には雲蝶の作品では無いけど仏像が120体位。
みんなとーーーーーっても可愛らしいお顔をしてた。
下唇噛んでる悔しそうな子もいたなw
何があったんww
バスは次の場所へ。
西福寺開山堂
ここは超有名な天井の彫り物がある。
中に入る前に外の写真撮影OKなところへ。
やっぱりすごい。
繊細だし、透かし彫りってことは立体視がちゃんとできてないと無理なわけだから目も相当よかったんじゃないかな。
目にはギヤマンが入ってるからか命が宿ってるみたい。
守ってくれてる感。
中に入ると大彫刻の
道元禅師猛虎調伏の図
天井だけじゃなくて四方もぐるりと全部彫刻。
とにかく凄すぎる。
写真じゃこの凄さは無理なんよ。
とっても細かいし、遠近法を使った彫り方をしているから彫ってる木の幅以上に奥まであるように見えるし、その奥の奥に茶釜とか彫ってんだもん。。。
意味わかんねーよマジで。。。
硬い木で彫られているのに服はやわらかく感じられるし、波の表現の細やかさもすごい。
すごいしか言えないのよ。
語彙力が欲しい。。
この大彫刻を6年で彫り上げたってバケモンだよまじ。
で、彫り物だけじゃなくて漆喰絵だったり襖絵だったり、日本のミケランジェロって言われてるのはこの多彩っぷりからかな。
色がついてる彫刻もいいけど私はやっぱり木の木目が見えるのが好き。
ご飯食べて(新潟の新米最高!!!!!)
バスは針倉山の永林寺へ
ここの本堂は雲蝶が設計から全てやった唯一の現存する建物。
ちょっと待って。
設計もできるわけ?!
マジで天才じゃん。IQいくつですか?!
彫り方の遠近法もそうだけど数学も得意じゃないと設計とか無理だよなぁ。
雲蝶プロデュースのここには25もの作品が残っていて間近で見ることができる。
はぁ目が幸せ
天女が有名だけど私は人体オタクだから天邪鬼の腕の彫り方に1人沸きまくり。
ちゃんと三角筋、上腕二頭筋、上腕三頭筋って彫り分けていて筋肉の境目もちゃんとあってて、足も同じでちゃんと筋肉図の通りに彫られてていやぁすごいなぁ。
ディティールにこだわる人だったのかな。
抽象的というよりもとにかく本物に近づけようとしてたのかも。
たっぷり堪能してバスは最後の場所瑞祥庵へ。
ここは山門だけ。
仁王像がいるんだけど最近まで風にさらされっぱなしだったらしく風化が凄くてでも今はアクリルパネルがついたから一安心ね。
これにてツアーは終了!
越後湯沢に戻ってきて私はお土産を買って居酒屋へ。
新潟に住む友達が遠くから車飛ばしてきてくれてほんと久しぶりにあえてめちゃくちゃ嬉しくてたくさんたくさん話して笑ってきたよ!
元気そうでよかった^^
同年代だから今の悩みとかも同じでそうだよねぇわかるよぉって言い合ってさw
なかなか会えないけどまた絶対に会いたいな!
そして新幹線で東京へ。
日付が変わる前には家に到着できました。
あー楽しかった!