新聞の1面の下欄に、よく本の広告があるのをご存じでしょうか。

8つに仕切られているやつです。

この新聞広告を、「サンヤツ広告」といいます。

なんと、私の会社の新刊本・既刊本の広告が、サンヤツ広告に掲載されることになりました!


$MAKE A DIFFERENCE ~社会を変える~

●毎日新聞1面サンヤツ広告
・10月22日北海道~中部
・10月24日関西~九州

●中日新聞1面サンヤツ広告
 10月26日


「社会を変える教育」「何度でも立ち上がれ」の広告掲載予定です。

ぜひ、ご覧ください。(^^
 会社設立から、はや3年。3期の決算書をみると、だいぶ企業らしくなってきた。
 
 
 オフィスも手狭になり、いろいろな物件を見て回るうちに、考え始めたのは、「自社ビル」の取得です。
 
 いますぐではないけれど、一戸建ての家に毛が生えたくらいの、3~4階くらいの事務所をつくりたいなと思っています。フロアをふやせれば、テナントも入れたい。

 ・スワンベーカリーのようなチャレンジドの就労施設兼カフェ兼社食がほしい。
 ・フローレンスのような病児保育施設もほしい。保育所もおきたい。
 ・私設図書館・勉強部屋・書斎・マンガ喫茶の融合した、知的・文化的娯楽スペースがほしい。
 ・いろいろな研修・学びの機会を提供するセミナースペースがほしい。
 ・ジャグジー風呂やマッサージ機など、リラクゼーションエリアもほしい。
 ・屋上には菜園やビオトープがほしい。

 ・・・などなど。
 
 自社ビルでなくてもいいけれど、やっぱり夢があり、地域のランドマークになり、地域企業として安定したイメージをもってもらいやすい。八王子は古いまちのせいか、くたびれたオフィスビルが多く、トイレやキッチンもだいぶ古くなっている。若い子たちにとっては、近代的な自宅の水回りと比べてしまうと、みじめな気持ちになってしまうにちがいない。
 
 これから起業しようとする方々や八王子の事務所を探している方々が、テナントを探す際にも、古いオフィスビルばかりではがっかりしてしまうだろうし。こぎれいでゆめのあるオフィスビルが作れれば、八王子というまちにゆめや活気を与えることができるのではないかと。
 
 まぁ。そんなことをぼんやりと考えています。
 
 なにごとも、口に出さなければ実現しないからね。
 
 ただし、自社ビルは、税務処理がとてもむずかしい。そこをきちんと頭に入れていないと、簡単に倒産します。うまくやれば、資金調達もしやすくなるので、じっくりと設計しておきたいところです。
「あんな努力家他にいない」と指導者に言わせるだけの努力。
 
この言葉、胸に突き刺さります。
 
 本当に。
 
 ちょろっとやって、片付けて、そこそこお金もらえればいいやという感覚では、本物になれない。
 
 どうせやるなら本物をめざせ。
 
 
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ノムさん「あんな努力家他にはいない」 (ニッカンスポーツ)


 日本ハムの稲葉篤紀外野手(39)が28日、楽天4回戦(Kスタ宮城)の1回にヒメネスから先制の右前適時打を放ち、史上39人目となる通算2000安打を達成した。

 稲葉の大記録達成をヤクルト時代の監督、野村克也氏(76=楽天名誉監督)も喜んだ。出会いは運命的だった。94年、明大で野球をしていた息子の克則氏を応援に、神宮に足を運んだ。相手の法大に在籍していたのが稲葉だった。「2度見に行って、2度ともオレの前で本塁打を打ったんだよ。これはひとつの縁だと思った。(この年のドラフトで)編成部に即戦力の左打者とお願いしていた。当然稲葉は候補に挙がってくるだろうと思っていたら、いなかった。だったら稲葉取ってくれと」。このとき、稲葉の運命は大きく変わった。

 まだ体の線が細かった稲葉を、野村氏は大学時代の一塁手ではなく、外野で起用することにした。「本人が『よろしくお願いします』って来て、オレの返した第一声が『お前、外野やれ』って。『やったことありません』って言うから『キャンプに外野のグラブ持ってこい』って命じた。そこから一塁の守備練習はなし。でも努力家だから、フリー打撃中も、いつも外野で球追っかけてた。よくバットも振っていた。神宮ではもう24時間室内にいるような感じだった。オレも長いこと野球界にいるけど、あんな努力家は他にいない。用事があってちょっと稲葉呼んでくれって言うと、ロッカー室に見に行って『いません。まだ来てません』っていうからさ、お前らどこ見てるんだって、室内行ったらいるから見てこいって、そんな感じだった」。

 努力の人。それは日本ハムに移籍した後でも変わらない。流した汗の分だけ成績は伸び、気がつけば大記録に到達していた。

 [2012年4月29日7時55分 紙面から]

http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120429-942204.html
日本社会科教育学会の論文誌115号に、共著ですが、私も一緒に書かかせていただいた論文が掲載されています。あくまで主役は実践者の先生なので、私は添え物なのですが・・・。

「高等学校公民科におけるシティズンシップ教育実践-社会的課題解決の教育モデルに基づくさいたま市政策づくり授業-」『社会科教育研究』第115号(2012年、日本社会科教育学会)

こんなタイトルです。もしよかったら、読んでみてくださいね。

 ワールドビジネスサテライトの特集で、アスペルガー症候群の方が社会に出て苦労されているということをやっていました。

http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/feature/post_18444/

 ワークスアプリケーションズという会社では、戦力として能力を発揮してもらうようにさまざまなくふうがあるとのこと。
 ベンチャー企業の「カイエン」では、発達障害をもつ方向けの職業訓練を事業化している。

 話のなかで、「目標の明確化」と「作業指示の構造化」などの当たり前のことを徹底すれば、働きやすい職場になると指摘されていた。

 「目標の明確化」や「作業指示の構造化」は、企業の中でほんとうは行われていないといけないものです。でも、日本の伝統企業ではうやむやにやっていた。

 私が朝礼をしていたのも、まず業務のスタート時点で、その日の目標を明確にするため。そして、その日の作業量に応じて、業務の分担をするため。仕事を理解するためには絶対に必要なもの。
 
 朝礼をやるとブラック企業のように言うひとがいるけれど、ちがう。
 
 日報を書かせるとブラック企業のように言うひとがいるけれど、ちがう。
 
 出発の段階で目標を明確にし、その日の最後に、その目標までどれだけ到達できたかを振り返る。
そのサイクルを毎日毎日繰り返すからこそ、成長をお互いに把握できるし、業務の改善もできる。

 いま新卒に近いスタッフたちを受け入れて、あらためて思うのは、そういうことをしっかりやるべきだということ。つまり「目標の目的化」と「作業指示の構造化」。
 
 朝礼も日報の実施は、ぜったいにおかしくない。それをやったからといってブラック企業だとはいえない。
 去年、さまざまなことに苦しみまくったまさっちですが、3月の決算を終えて・・・。
 
 売上げは、昨年の3倍近くになりました。(スタートが小さかったからね。。)
 
 自分の懐に落ちてくるわけではないのですが、会社の売上げや利益が、経営者の通知書みたいなものです。
 
 悩んだなかで誘われて入会した同友会。こちらでの発表でも、いっぱいほめられた。
 
 そして、町田支部の幹部にご指名を・・・。

 今年は、都内に事務所も構える予定でいます。
 

 そして、平行して、スタッフの待遇をよくできるようにしていきたい。
 
 社会的課題解決や社会貢献事業にも、どんどん挑戦していきたい。
 私は、母子家庭の育ちです。母は、働きながら、私をふくむ3人の男の子を育ててきました。そのうえ、兄は、知的障害をもっています。

 兄は、知的障害者としては軽いほうで、養護学校をでたのち、一般のお弁当やさんに就職することができました。でも、職場では、障害者いじめのようなものがあったようです。そのうえ、不況のあおりもあって、職場をリストラされてしまいました。その経緯で、うつ病も発病してしまって、私たち家族もずっと苦しみました。それに影響されて、弟もうつ病に。
 
 私は、この家族のなかで、父親代わりの役割を担っていたので、私の生き方や家族への接し方が、兄弟をうつ病に追いつめたと、周囲からも責められ、私自身も悩み苦しみました。もう本当に、自分までうつ病になるかもしれないと。

 でも、もし、自分がうつになったり、自分を見失ってしまったら、ここまで私たちを育ててきてくれた母は、ほんとうにつらいと思った。ここで自分がくじけたら、母は全ての子がうつ病で病院通いになり、支え続けなければならない。
 
 がんばればがんばるほど、病む方向に向かっていく。きっと病院に行ったら、それこそうつと言われてしまう。何が何でも歯を食いしばり、私は家族を上向く方向に向かわせなければならない。
 
 人生にはいろいろな苦しい時期があるけれど、あの苦しみは独特だった。自分のことならなんとかなるけれど、そうじゃない。そして自分のあり方を周囲から責められ続け、ただひたすら耳鳴りがするような、そんな苦しみだった。がんばりようがないものを、ただこらえつづける時期だった。
 
 それでもやっぱり、予備校講師のような、激しく競争をするような仕事は、そのときの自分にはもう限界だった。ちょうどそのとき支えてくれた人がいて、そんななか、私は教科書会社に転職した。労働組合もあり、安定した会社。
 
 一般企業で働くだけでは、母や兄をはじめとする家族を養うことはできないけれど、それでもそのときはしかたがなかった。そのなかで、安定した会社に勤める、おだやかな人生のよさも少し知ることができたし、それはそれでよかったと思う。でも、少しずつ自分も立ち直っていくにつれて、もっともっとお金も稼がなければならないし、目指す社会の実現に向けて、自分自身から動き出さないといけないと思った。このままではいられなかった。
 
 子どもの頃から、思い続けていたのは、母のような働く女性が、ほんとうに働きやすい社会にすること。兄のような障害者が、社会に受け入れられ、自分らしく生きられること、就労の機会を得ることができること。そんな社会にしたいと思い続けていた。

 そんな社会にするためには、1つには政界にでて社会を変えること、2つめには自分がそういう会社をつくること、3つめには教壇に立ってその思いを伝えること。この3つを考えていました。そのうち、メディアという手段で、その思いを少しでも伝えていくこと、というのも追加されました。

 私の会社は、その思いをこめて、「Make a difference」=「社会を少しずつでもよりよくしていくこと」というキャッチフレーズと理念を掲げています。これは、英国のボランティア団体CSV(Community service for volunteers)の掲げるキャッチフレーズにちなんだものです。

 一人でも多くの若者をまず雇用し、就職難民から救い出す。女性の働きやすい会社にする。そして会社が安定したら、一人でも多くの障害者(チャレンジド)を雇用する。

 メディアコンテンツの制作、配信という事業を通して、社会的、教育的、文化的価値の高いコンテンツを社会に提供し、社会の文化度、成熟度、民度を少しでも高めて行きたい。

 社会的課題解決のフレームワークを用いて、社会的課題を分析し、課題解決のモデルをソーシャルアクションとして事業化したり、シンクタンク事業により政策提言を行ったり、メディア事業をとおして情報の配信を行っていきたい。
 
 やりたいこと、やることはたくさんあるけれど、それは私の生い立ちからつないでいくとすべて一貫性があるものです。
 
 そういった思いを共有できる方に、このブログを読んでいただけたらと思っていますし、機会があれば会社に来ていただいて、いっしょに働きたいと考えています。
 
 まとまりのないことを書いてしまってごめんなさい。でも、そういう思いをこれからもブログで伝えていきたいです。
なりふりかまってられるのは、まだまだ人生のどん底を知らないから。

そして、夢や目標に対して本気でないか、それじたいがあいまいだから。

命がけでないから。

本気になって、血眼になってやってれば、みんなが応援してくれるものだ。
がんばろう・・・

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世界標準を見ろ、「ハーバード大学図書館、朝4時の風景」(フィクション)


http://product-empresario.blogspot.com/2012/01/blog-post.html


⒈今居眠りすれば、あなたは夢をみる。今学習すれば、あなたは夢が叶う。


⒉あなたが無駄にした今日はどれだけの人が願っても叶わなかった未来である。


⒊勉強に励む苦しさは今だけであり、勉強しなかった苦しさは一生続く。


⒋明日やるのではなく今日やろう。


⒌時間は絶えず去りつつある。


⒍学習は時間がないからできないものではなく、努力が欠くからできないものである。


7.幸福には順位はないが、成功には順位がある。 


8.学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。


9.学習する事が人生の全てとは言わないが、学習すらできぬものに何ができるのであろうか。


10.人より早く起き、人より努力して、初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。


11.怠惰な人が成功する事は決してない、真に成功を収める者は徹底した自己管理と忍耐力が
必須である。


12.時間が過ぎるのはとてもはやい。


13.今の涎は将来の涙となる。


14.犬の様に学び、紳士の様に遊べ。 


15.今日歩けば、明日は走るしかない。


16.一番現実的な人は、自分の未来に投資する。 ‎


17.教育の優劣が収入の優劣 ‎。


18.過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。


‎19.今この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。 ‎


20.努力無しに結果無し。