自分の利益 | まーちゃんのブログ

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誰かに読んでもらうつもりで書くと、自分の考えがよくまとまってすっきりするので、このブログを始めました。

* 自分の利益 *


個人としてあらゆる意味で利益を得ることが、人の目的なのではないでしょうか。今、目の前にあるお饅頭を、誰よりも先に取って口にすることも、2000年後の子供たちが安全に暮らせる日本を残そうと、お饅頭を買うお金を寄付することも、私にとっては同じように利益になるのです。

個人の利益とは、人類ができるだけ長く生き残ることです。人はこの衝動から逃れることができません。人類が生き残るためには、ほかの人を押しのける力を持った人間が必要です。そういう力強い人間の集団が必要です。また、社会の中で協調し助け合う人間も必要です。そして、他人のために自分を犠牲にする勇気を持った人間も必要です。一人の犠牲が数百人を救うとしたら、それを喜んで行う遺伝子が我々の中に組み込まれていないはずがありません。組み込まれていないとしたら、人類は早晩滅びるでしょう。

ですから、私の心の中には、人をだまして自分や身内だけが得をしたいという気持と、全く知らない人のために命を懸けたいという気持が共存するのです。相反する気持ちのようですが、人類が生き残るという点では完全に一致しています。違うのは利益が発生する場所と時間です。

ある行為の結果、利益が発生する場所があなたに限りなく近くて、時間もかからないとき、あなたは犯罪人と呼ばれます。利益が発生する場所が遠くて、たくさん時間がかかる時、あなたは賢人と呼ばれます。あなたの見えない場所で、あなたの死後利益が発生する場合、あなたは聖人と呼ばれます。どの場合においても、あなたの遺伝子は喜んでいるのです。人類が生き残るという目的に向かっているのですから。

人の行為はすべて個人の利益のためになされ、個人の利益とは人類が生き残るということなのです。そう考えると、犯罪も、仕事も、自己犠牲も一直線上に並んでいることになります。これまで人類が試行錯誤を繰り返して学んだことは、犯罪は人類の生き残りに反する可能性が最も高く、自己犠牲が人類の生き残りに寄与する可能性が最も高いということです。しかし、自己犠牲をする人だけで人類が構成されたら、みんな早死にするかもしれません。どのバランスが最もいいか、それを我々は何万年もかけて、社会というものを築きあげながら探り続けているのです。

どの人のどんな行為も、あるいは無為も、人類の生き残りのための一歩なのです。


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