フォロワーさんの助力を借りながらこのシリーズもついに500を超えました。
本当に本当にありがとうございます。
いつもいいねして頂けるリプくれるみんなLOVEだぜ。
で、今回はちょっと私の昔でも回顧してみようと思います。。。
時は2000年。マサ18歳。
まだAT機が出始める前である。今で言う専業だ。無職の為家は無い。
18歳からずっと仮暮らしのマサエッティと言われ続けてきた。
常に友人宅を転々と居候である。もしくはカプセル、サウナ、満喫巡りである。
ここで私は山梨県の甲府市にある大学へ通う一人暮らしを始めた友人宅へ2年間の居候生活に突入する。今考えるとよく2年も居候したしさせてくれたなとおもうww
スロットの時代はA-400とCT機から大量獲得機へと移行していこうかという時期であった。
この時の主戦機種は大花火である。4以上あれば間違いなく勝てる台。
好きな台はワードオブライツ。今でもそうだがボーナス確立が低い台が好きなのだ。
今はもう閉店してしまったのだが、甲府駅のすぐそばにある三井というお店が主戦場であった。客層は弱く、若者も少ない。毎日6は何台も投入されているというまさにパラダイスがそこにあった。
この時のラインナップは、
アルゼが大花火、花火、ワード、アステカ
山佐がコングダム、タイムパーク、シーマス、おいちょかば
サミーが珠緒、鬼太郎、鬼太郎SP
裏物でカリオカ
といった等々のラインナップ。
また隣駅や近隣の店舗もイベント時などがとても甘くまず負けない。といったところだろうか。
常に友人と二人して、アパートの棚にポンと100万以上置いてあり金が減らない状態であった。田舎だし何もなくやることもない。
ここで当然と言えば当然なのだが、同じスロットで稼いでるやつと毎回店で出くわすのである。そのうち話をするようになり、店自体が甘いこともあり今日の狙い台などを朝話したりするようになっていき、あいつもいつもいて出してるよなとか話が出てそいつも話すようになりとしていき。いわゆる自然軍団が出来上がっていったのだ。
紹介していけば、まず俺がマサ、俺の友人が名前の一部から取ってドゥー。
次に仲が良くなった自分からこう呼べと言ったビタつばさ。
勝手に仲間内にしたいつももじゃもじゃの頭のモジャ。
下手なのに打ちに来ていた年下の二人が雑魚Aと雑魚B。
あとは代わる代わるでだいたい10人くらいの軍団になっていた。
当時、八王子軍団が有名だったのもあり、つばさから軍団名付けようという話になり、安易に軍団マサと名付けられた。(本当はマサではなく私の苗字)
俺が一番暇だからリーダーという事と、八王子軍団のリーダーは目押しができないならこっちはヒキが以上に弱いリーダーにしようという事だった。
99%のフリーズを外したり、6で1000枚しか出なかったり、島10台中9台が5000枚オーバーしてる中俺一人マイナスだったりと、常にユーモアを提供してしまっていたからである。。。。。
ここからは団員の情報が早く近隣店舗の状況も網羅していきとにかく負けない集団へと成長したのだが、、、、
気づくと誰かが誰かを呼びがねずみ講のように広がり大体関東全域の情報が入ってくるようになったのだがもう誰だかわからん。多分だけど50~100くらいの人がいたと思う。。。
あまりのめんどくささに解散。
今の時代みたいにネットが普及していれば凄い集団になってた気もするw
あの頃はとにかく毎日が楽しかった。
今でこそ専業なんてかっこいい言葉で言われてるが、20年以上前から変わらずただの住所不定、無職の人間であることに変わりはない。
専業ちょっとでもいいなと思っている人間がいるなら、ただただやめておけ。
理由はこうだ。
・無職であるがため、家は借りれない、ローンは組めない。
つまり親の力なくして生きてはいけないのである。今どんなにイキっていたり、勝ち自慢したり、輩のように威張り散らしていても、世の中からは何も認めてもらえないクズだ。
仮に家に住んでいるんであれば、そいつらは自分一人では何もできないパパんとママンの力で生きているだけだからな。1年で1億くらい稼げると思うなら問題ないと思う。
最後までこんな読みづらいものを読んでいただいた方ありがとうございました😊