ここのところ、朝起きて火鉢の火熾しをするようになりました。
熾炭があるので、新たな炭を火がつきやすいように熾炭の周りに並べてから、熾炭の灰を軽く取り除き、火吹き棒を使い火を熾します。
炎がそのうち立ってきます。
炭の並べ方は、炭の大きさや形によって毎回違います。
風をどこから取り入れるかとか、色々考えながら、安定した炭火になるのを待ちます。
安定したら水を入れた鉄瓶を五徳にかけます。
お湯が湧いたら、餅とか芋などを網に乗せて焼き始めます。
そんなことをゴソゴソと朝の日差しが白むまでにやっていると、2時間くらいは、ゆったりした気分の中で、ずっと火を見ていたと気付かされます。
なんで、火を見るのは飽きないのやろ?
と、今朝はボンヤリ考えていました。
で、ふと思ったのが、
火=自然という神様と対話している気がしているな。
です。
この地球上で火を扱えるのは人類だけで、自然現象としての火を、ある意味コントロール出来てはいる。
正しくというか自然に逆らわなければ、この上なく豊かな暮らしを与えてくれるんやな。そういう意味では神様と対話している。
と思ったのです。
神様と対話している感覚。
現代人が忘れがちなことのような気がして…自分自身は、この先の人生で、その感覚を取り戻そうとしているかなと。
だから、火を見るのは飽きないのかなと…
masa80808