24歳が原爆を伝えるガイド日記
*自己紹介、ガイドを始めたきっかけ、将来の夢
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☆23歳が伝える原爆ドーム
オランダの大学生
母さんとカナダ人親子と。
It's a small world!
!)」と話をしました。
ポーランド人の女の子
一昨日ガイドを聞いてくれた方が差し入れを持ってきてくれました。こういうの嬉しい!!
頼んだよと言い残した母。遺言守り通す
多田(旧姓田中)信子さん(87)は、原爆で両親と妹を一度に亡くしました。生き残った弟の田中秀利さん(74)は当時、2歳になったばかり。15歳の少女の肩(かた)に小さな弟の世話が重くのしかかりました。
戦前、両親は西引御堂(ひきみど)町(現中区十日市町)でガラス店を営んでいました。広島市立第一高女(市女、現舟入高)の4年生だった多田さんは1945年8月6日の朝、学徒動員先の工場が休みだったため、弟と緑井村(現安佐南区)の父の実家を訪ねる予定でした。
自宅を出て8時15分に横川駅(現西区)発の可部線に乗り、発車のベルが鳴った瞬間(しゅんかん)、辺りが真っ暗になりました。爆心地から1・6キロ。おんぶしていた弟が「煙(けむ)たいよ」と言ったことを覚えています。無我夢中で弟を連れ出し、歩いて緑井へ。夕方、やっと父の実家にたどり着きました。
全文はこちらから。
72年経つ今だからこそ学ぼう。
そして伝えていこう。
幻の映画「ひろしま」見てみてください。
今日と明日の二日間は帰省します!
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