24歳が原爆を伝えるガイド日記
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*自己紹介、ガイドを始めたきっかけ、将来の夢
*ハフィントンポスト個人ページ
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☆23歳が伝える原爆ドーム



昨日


折り鶴名人山口さんの折り鶴教室。

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ポルトガル語のガイドもする胎内被爆者の山口さんの折り鶴教室は毎日毎日大盛況です。


その後自分が爆心地まで案内。
子どもたちと仲良くなりました♩
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イギリス
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珍しく自分が折り鶴先生になって一緒に折りました。
日本のアニメが好きで日本語も少し話せました!
日本のアニメ・マンガは海外でも大人気です。


東京から来た高校生
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一生懸命聞いてくれました。
聞いたことをまた周りの人に伝えていってくれたら嬉しいです。




8月6日 湯崎広島県知事あいさつ





  今年も8月6日を迎えました。あの日以来,72回目の夏です。

 「原爆という言葉を聞くのもいや,話すのもいや。原爆という言葉を聞くと,熱い鉄板を押し当てられたようなあの瞬間が甦(よみがえ)ってくる」

 爆心地から1.4km離れた屋外で被爆し,夏服の皮膚が露出した部分は火傷を負い,苦しみで50日間は眠れなかったという女性が書かれた手記に残されています。

 「原爆の日」は,多くの被爆者にいや応なく,「熱い鉄板を押し当てられたような」記憶を呼び起こし,それを72回も繰り返して今日を迎えています。

 このような思いを抱えてこられた被爆者の方々が,近年,封印してきた記憶の証言を改めて始めておられます。

 それは,年を取る中で,今誰かに伝えなければ伝える機会を失ってしまうという焦りと同時に,核兵器廃絶への道筋が,72年の歳月を経ても,未だに見えてこないという歯がゆさからきているように思われます。

 思い出したくもない記憶を語ることで,被爆者自身が得をすることは何一つありません。それでもなお,被爆者を突き動かしているのは,「二度と,誰にもこのような思いをさせたくない」という気持ちです。

 私たちは,被爆者の訴えが示す真実を,どこまで本当に認識できているでしょうか。




全文はこちらから。





72年経つ今だからこそ学ぼう。
そして伝えていこう。





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