24歳が原爆を伝えるガイド日記
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*自己紹介、ガイドを始めたきっかけ、将来の夢
*ハフィントンポスト個人ページ
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☆23歳が伝える原爆ドーム




明日は8月6日です。
ボランティアガイドグループのリーダーで胎内被爆者の三登浩成さんがNHKラジオで特集されます。

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8月6日夜8:05〜8:55  

50分の特番です!!




原爆ドーム前でガイドを始めて11年間。雨の日以外毎日通い続け今までに案内した人は170ヶ国28万人を超えます。

三登さんの記事【ENGLISH JOURNAL 】
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三登さんのブログ

広島の視線


ちなみにラジオを持っていない方はネットで【らじるらじる】で検索するとアプリダウンロードで聞くことが出来ます!!


ぜひみなさん聞いてください!







自分の8月6日付近のこと。


今日の沖縄タイムスに載してもらいました。
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6月に書いたハフポストの記事を読んで記者の方が連絡をくれました。自分たちはもっと沖縄のことを知らないといけないと思います。





あと、明日NHKラジオで三登さんの番組は夜ですが、自分は朝7時半過ぎからの生放送に出ます。そんなに長い時間ではないと思いますが、ぜひ聞いてください。

ラジオない人は【らじるらじる】で検索してください。



あと、8月6日を前にしてハフポストに記事を書きました。

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ガイドをしていく中で原爆や現在の核兵器についてもっと多くの人が日常的に考えていく必要性を感じています。

節目はもちろん大切にしなければなりませんが、その日、その年だけでなく72年前から継続して起きている問題です。

原爆を経験していない自分たちは被爆70周年と言われた2年前の8月6日から、歴史的な1日と言われた1年前の5月27日から、どれだけ原爆について、戦争について、核兵器について、平和について考えてこれたでしょうか。

平和記念公園でボランティアガイドをしていて感じるのは日本人より海外の人の方が圧倒的に熱心な人が多いということです。(数の問題で、もちろん日本人にも熱心な人はいるし、海外の人でそうではない人も中にはいます。)海外の人がここでなにが起きたか知ること、考えることを目的に平和公園来るのに対して、日本の人は平和公園に来ること自体が目的になっている場合が多いと思います。

だから原爆ドーム前でも説明板を含め、海外の人の方が熱心に時間をかけて見つめているのに対して、日本の人は写真を撮ったらはい、次、資料館!という人が多いです。

海外の人が涙している横で日本人の若い世代がジャンプしたり変顔したりして写真を撮っている姿も何度も見ました。
昨年の7月にはポケモンGOでモンスターボールを原爆ドームに向かって投げている人も多く見かけました。

なぜ、そんなことが起きるのでしょうか?

それは原爆ドームがどのような意味を持つのか、平和公園がどのような場所なのか知っているようで深く知らないからだと思います。また、原爆を昔話だと思っているからだと思います。被爆者はまだ生きているし、原爆は核兵器と名前を変え、現在でも世界に15,000発近く未だ存在しています。今、起きている問題です。

海外の人は平和記念公園を訪れる前に本を読んだりニュースを見たりして、予習してくる人が多いのでこのような差が出てくるのだと思います。


記事全文はこちら






8月6日の前にぜひ読んで考えてみてください。
良ければシェアお願いします!!







最後に1つ記事を紹介

『論』 埋もれるヒロシマ 生々しさや強い表現こそ


 あの日から72年。平和記念式典の準備が進む。70回を数え、内外の要人も集う巨大で管理されたセレモニーとなった。きれいに整った「聖地」は、生々しさなど薄らいで祈りの場となっている。歳月がたち、怒りや悲嘆が昇華されてしまうのは無理からぬことか。 

 岡本はかつて著書「私の現代芸術」で疑問を投げ掛けた。「この町も、ここに集(あつま)る人も、平和・平和とお題目に泳いでしまっているのではないか」「この象徴的な土地に、碑や祭壇なんかもうけて、拝んだり、記念したりするから問題がズレるのだ」。あの芸術家らしい辛辣(しんらつ)な言葉である。 

 被爆詩人も痛烈な表現をした。原爆ドームの保存が決まった翌年、栗原貞子は「曝(さ)らされる」と題した詩を詠んだ。その一節にある。「体重よりももっと重い多量な/泥状粘液に固められ/もう音をたてゝ崩壊することも/許されない/ドームは曝(さら)されて佇(た)ちつくす」 

被爆の「生き証人」であり、象徴でもあるドーム。世界遺産とされ、保存が重要であるのは言うまでもない。ここで訴えるのは、保存して安心してしまうような姿勢や風潮への危惧だろう。 

別の詩「夜」には死者たちの憤怒を代弁するような表現がある。「人らは碑をつくり/石やブロンズの像をきざみ/折づるをつるし/鎮魂の祈りを捧げたが/不眠の夜は深くなるばかりだ」 

 鎮魂や祈りが無意味というのではない。過去のこととせず、もっと怒れと言うのだ。 

岡本や栗原の作品や言葉は、どれも半世紀ほど前のもの。しかし被爆の痕跡が街から消え、被爆者が減る今こそ、私たちが意識すべき問い掛けに思える。原爆に対する怒りや悲しみをどう感じ続けるか。慣れてしまわず常に新たにしていくか。 


 いま一度、原爆被害の原点に戻り、生々しい被爆の実相に触れ、怒りや悲しみなどを呼び起こす必要があるのではないか。 


記事全文はこちら






明日は8月6日。大切な日です。

けど明日が終わったらまた来年まで忘れてしまうのではなく、日常的に少しずつ考えていってください。



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72年経つ今だからこそ学ぼう。
そして伝えていこう。





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