23歳が原爆を伝えるガイド日記
*自己紹介、ガイドを始めたきっかけ
*今まで載った新聞記事のまとめ
昨日は母校、広島修道大学のボランティア論という授業の中で学生25名に対して話をさせてもらいました。(修道大学という名前ですが無宗教の大学です。)
呼んでくださったのは山本先生。土砂災害のボランティアで知り合いました。
山本先生はもりメイト倶楽部Hiroshimaの副理事長です。
もりメイト倶楽部Hiroshimaとは…
主に広島県とその近郊における森林や里地、里山などにおいて、森林整備や環境教育に関する事業を行い、自然環境の保全、資源の有効利用、環境保護意識の醸成及び地域のまちづくりに寄与することを目的とする非営利活動法人です。
今回は一コマの中で半分が被爆者の方の証言、そして半分が自分の話でした。
当時の様子を話してくれましたがとても残酷なものでした。
手に持っているのは当時見た光景の絵。描いたのはお孫さんです。
後で話して分かったのですが、お孫さんが宇都宮さんの絵を描いたこのストーリーはあの夏の絵という演劇にされています。
この演劇の舞台になっているのは基町高校。高校生が被爆者の絵を描く取り組みをしています。
詳しくはこちら↓
自分はボランティアを始めたきっかけや簡単な平和公園の説明、原爆を経験していない世代が伝えていく意義などを話しました。
そこからちょっとずつ関心を持ってガイドをするようになりました。
ちょうどあの夏の絵の演劇のサブテーマも
「こんなにも知らなかったということを初めて知った」
広島の人はみんな原爆についてよく知っていると思っている県外や海外の方が多いですがそれは間違いです。
もちろん、他の県に比べて原爆はよくない・戦争はよくないという共通の認識はあると思うのですが、中身はあまり知りません。
それは小学校では平和教育が盛んですが、中学校はあまりなく、高校ではほとんどないからです。
*(特に県立高校では1998年の文部省の是正指導により制限がかかりました。)
また、ほとんどの被爆者は自身の悲惨な体験をあまり周りに話したくありません。
だから身近に被爆者がいても中身はあまり知らないのです。
けど、広島にいると自分は知っていると思ってしまうし、身近すぎて真剣に考える機会もほとんどないので知らないままになってしまいます。
まずは、知らないということを知ることから始めなければと思います。
そんな中、昨日はみんな一生懸命聞いてくれて嬉しかったです。
感想を紹介
「平和公園でのボランティアにとても興味を持ちました。」
「 世界的にどうなるか不安のなかで私たちは、まず知ることから始めなければいけないと思いました。」
「71年経った今、もう一度考え、自分も伝えたりできるような大人になりたいと思いました。」
「村上さんが言うように昔のことをなかったことには絶対してはいけないし、忘れてはいけないということを強く感じた。そのために自分達が歴史を知り、次の世代に伝えていかなければならないと思う。大事な事は中身ということを今日の講義で感じた。個人としても中身をもっと知りたいと思い、今日をきっかけに意識が変わると思いました。今日は貴重な話を聞くことができて得することが出来たと思います。」
「村上さんは、私の記憶が間違っていなければ、数ヶ月前におりづるタワーが無料開放されていた日、列に並ぶ人に語りかけていた話を聞いたことがある。その時も村上さんのお話にすごくひきつけられたけど、今回もすごく胸に響いた」
これはまさしく「長蛇の列、、お、これはチャンス!大作戦」の日のことです。
↓ぜひ読んでください。
なんかちょっとずつちょっとずつこうやって繋がっていくのが楽しいです。
昨日を1つのきっかけに、一人一人が出来ることをやっていってください。
もしボランティアガイドに興味がある方は下のメッセージボックスから連絡ください^_^
一から教えます!!
初めて大学で話をしましたが、自分の出身大学でこうやって話ができて嬉しかったです。
山本先生、そして学生の皆さんありがとうございました。
こういうのが増えていけばいいなーと思います。
もしよければ呼んでください!!
Facebookページ
村上正晃(広島平和記念公園ボランティアガイド)
71年たつ今だからこそ学ぼう。
そして伝えていこう。
あ、、今日はこれです。
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