前回からあいてしまいましたが、続きです。
前日は、霧のために大連に到着せずに、瀋陽についてしまい。
フライトのめどが立たず、ホテルに軟禁状態の翌日です。
さて、私の会社AM7:15から始業のため、いつも6:30には起きます。
なんとなく同じペースで準備をしていると朝食で従業員が起こしに来ました。
昨夜の夕食もですが、日本人はまあ我慢できるレベル、
欧米人のジョンとピエールには耐え難いようで、顔すら出しませんでした。
(ジョン=たぶんアメリカ人、ピエール=なんとなくフランス系)
全員空港に移動するようです。
ジョンとピエールは北京に行き先を変更したのを携帯電話を盗み聞きしました。
本当は私は、瀋陽-大連便の復旧を待つつもりでしたが、
大連の上司は、
「回復の見込みないから、バスがいいよ」
・・・( ̄_ ̄ i)
とつれないお言葉。
「か、簡単にいうな~。」と心の叫びを上げながら、バスで空港へ向かいます。
預かりの荷物を受け取り、途方にくれていましたが、
手ごろな集団を見つけて、「一緒にいっていい?」と
片言の中国語と英語(ちょっとはわかるらしい。)で懇願すると快諾してくれました。
グッジョブ俺!( ̄ー☆
さあ、瀋陽ともお別れだ。
とここでもジョンが話しかけてきます。
「いまどういう状態なんだ?俺はどうしたらいい?」
細かく答えるには英語のレベルが足りませんので、
「私は中国人たちと、バスで大連にいくよ。」と答えると
ため息混じりのジョン。
お別れの言葉を交わしました。ごめんよ、ジョン、ボンボヤージュ、ピエール。
彼らは無事北京にいけるのでしょうか?知るすべもありませんが・・・
ってことで、4人の中国人と瀋陽の中心あたりにあるバスターミナルに移動。
出発まで1時間の待ち、お茶しました。
冷静に考えると、なんで俺はこの見知らぬ中国人と会話もできないのに、
お茶してるんだろう・・・。
話を聞くと、大連の開発区で仕事をしている、4人は赤の他人、
仕事仲間でもないのかよ。中国ではよくあるんだろうな。
1人は、20代のおねーちゃん里帰りでもしてたのかな?
もう一人は、これも20代かもしくは30代前半かな頭のよさそうなにーちゃん。
もう一人は、中国の会社とかで部長とかやってそうな、すべての行動が、
これ中国人な感じのおじさん。
最後は、日本語がほんの少し喋れる(あとでわかった。)ちょっと恰幅のいい、
おじちゃんです。
この二人のおじちゃんは面倒見がいいのか、なにくれとなく世話をやいてくれました。
マントウを買ってくれたり、タバコをくれたりと。
いい人たちです。
瀋陽から大連までのバスは、100元、日本のリムジンバスとかわらないくらいの、
乗り心地、4時間の旅を満喫しました。(ちなみに烟台-青島間はタクシーで3時間)
一回サービスエリアで休憩後、大連に向けて出発。
大連に入ると、霧、霧、霧。
うーんこれは今日も飛行機飛んでなかったな。
どうも今週一週間は非常に天候が不安定だったみたいで、欠航、空港閉鎖が相次いだようです。
バスが見慣れた大連の町並みに入ると、なんだか安堵感を覚えました。
到着は大連の中心地(?)「勝利広場」です。
ここまでくれば、もう大丈夫です。中国語しゃべれないけど、
伊達に2年のうちで、十数回も出張してません。
会社まではよゆーです。
荷物を取って、
にいちゃんと、ねーちゃんはいつの間にか消えていましたが、
おっちゃん二人とあつい握手を交わして、お礼を言って別れました。
う~ん、ちょっと感慨深かったです。
到着できたし、結果オーライなんですが、
よく考えるとなぜ霧ごときで着陸できんのだ!?
管制の指示もあるし、レーダーもあるんだからと思いましたが、
飛行機が小さすぎるのだそうです。
なるほどね。
中国の交通事情はまだまだですね。
会社につくと、誰と話しても「いい経験できましたね~。」と笑いを堪えてる。( ̄∩ ̄#
よく考えてください。今回は飛行機がらみだったので、中国といえども英語がなんとか通じます。
日本人は高校レベルまでの英語教育されているから、なんとかなりますが。
中国って基本的に中国語は当たり前としても、あとは韓国語くらい。
コミュニケーションが全く取れない不安たるや・・・。
とにかく大変でしたが、事なきをえました。