オリンピックが始まってテレビ報道もヒートアップしています。
その中で気になるのは、アナウンサー、解説者などが、一応に勝者に対して「元気をもらった」、「勇気をもらった」の表現です。
大震災後、この手の表現がひんぱんに使われることに非常に違和感を覚えます。
勇気、元気は個人の主観的な価値観であり、報道に見るアナ、解説者は個人的見地でいったのか、視聴者を代表して言っているのか、いずれにしても、違和感を覚えます。
サッカーで勝った、メダルを貰ったことは、大変喜ばしいことではあるが、見ていて勇気を貰った、元気を貰ったと思う人は、それほど多くはないと思う。
勝った選手の中にも「皆さんに勇気を与えられてよかった」などと発言する選手が出てくるかも知れないが、聞いた人は勇気を貰ったと感じるだろうか、勇気、元気は「貰うもの」でも、「与えるもの」ではないのである。
かつて、92年オリンピックバルセロナ大会のマラソンで、メダル確実と言われた谷口浩美選手が給水所で転倒し8位となってしまったが、給水所で他選手に押されたこと、足を踏まれたこと、大会運営の不手際にも一切口にせず、出た言葉は「途中でコケちゃいました。」とは敗者の弁ですが、失敗を怖がらず、失敗を糧に強くなることが重要なんだと教えられました。
昨日、柔道の女子52㌔級の中村美里選手が1回戦で敗退しましたが、敗戦の弁で「すごく、悔しいけど、試合は楽しめた。まだ、強さが足りないことだと思う。」と涙は見せませんでした。
ここで涙を見せたら終わってしまう。これから、練習を積み上げ強くなるとの信念がうかがえ、今後の活躍が楽しみです。
勇気、元気をもらう、ということは、受け取る人間の個人的な主観であって、勝者より敗者から生まれることが多いようです。