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 2009/4/21 宮崎県日之影町にキリスト教会が立ち上がり、

献堂式がおこなわれた、130名の参加者が集い、聖書の神さまが褒め称えられた。

 この教会の牧師さんは現在90歳になるおばちゃん城尾マツ牧師、

69歳で神さまから召命をうけ、70歳から神学校に入学、75歳卒業、

まったく資金のないとこらから、82歳でこの地で、神さまの宣教に導かれ、

神は9年がかりで、300坪の土地に総額42543983円の会堂を立ち上げられた。

 式ではマツ師の3嬢さんも、洗礼式をうけて信仰を表した。

神さまが生きて働かれることが良くわかる素晴らしいできごとです、感動したので

記事にしました。

 マツ先生の証

私の歩みというより私達のあゆみとして書かせていただきます。

主人安盛は大正5年6月29日に城尾勇の長男として生まれ農家経営者として育てられました。

安盛は小崎での事故による大火の影響と過労、栄養失調で19歳という若さで結核となり、

10年間病床生活をおくりました。その間、佐藤幸夫さん(故)によりキリスト教信者となりました。

 そんな安盛との仲を取り持ってくださったのが安盛の友人、寺尾あいのさんでした

あいのさんが御主人と一緒に宮崎に移住され、

隣接の清水町キリスト教会に出席された時にお知り合いになりました。(私は当時教会員でした)

それ以来、日之影と宮崎で文通による安盛との交際が4年間続きました。

戦時中ではあったが昭和19年1月19日に母の反対を押し切って

単身赴任のように病状の安盛の妻となりました。仲人には山本伊徳さんがなってくだり、

安盛は29歳、私が26歳の時でした。キリスト教伝道、アメリカにて

 結婚3年後に安盛の結核は完治しました。前後して長女の恵子が2歳ならずに病死し、

失意の安盛でしたが気を取りなおし東京のキリスト神学校に入学、6ヶ月の研修を受けて帰り、

農業をしながら紙芝居などをやって日之影各地でキリスト教の伝道をしました。
 
 私は次々に生まれてくる娘たちの養育と家計のやりくりで、てんてこ舞いをしながら、

好学心だけは持ち続けました。

今でも本を読むことは趣味ですが本を読むことの面白さを教えてくれたのは

大工の棟梁をしていた宮崎の父でした。雨天で仕事の休みには必ず時間を作り、

私に本を読んで聞かせてくれました。父の読む本は『キング』というぶ厚いもので、

その読み声はお寺のお坊さんの様なよくようのある読み方でした。

私はたいていそれを子守歌として眠ってしまい、

ふと気づくと私の体に父のたんぜんが着せてありました。

私はその度に「私も大人になったら父のように本を読もう」と考えました。

 私が小学校5年の時、救世軍の路傍伝道隊に会い、

キリストの話を聞いて聖書を読むことを始めました。

旧約聖書の1番最初に「はじめに神は天と地を造られた」とあるのを子供ながらに、

なるほどと思い信じました。17歳で洗礼を受け日曜日の教会生活を大切にすることを決めました。

 最終学校は師範付属小学校の高等科であったが学校の先生になりたくて

延岡の旭化成に勤めているときに早稲田大学の通信講座を受けながら教員検定を受けたり、

県庁に勤めながら夜学の産婆看護学校に通ったりしました。

両方とも9割まで成功して就職すればどちらかになれたのに26歳で結婚して、

どちらもおじゃんになりました。

キリスト教会建設予定敷地において

 子育てもひと段落した頃、自動車免許、

調理師免許を取り甲斐薬店の前で「ひのかげまんじゅう」を焼いたりしました。

また60歳から習字の勉強をして教師になり80人前後の生徒を育てました。

その収入で70歳になってようやく神学校(JTJ宣教神学校)の通信生として

入学を許され76歳で牧師になることが出来ました。その後、

アメリカへ伝道をしに3ヶ月滞在したりもしました。

 現在85歳で聖書の学びを続けながら日之影にキリスト教会を建てようと祈り励んでいます。

神の造られた地球を大事にする農業者を育てる事が希望です。

今、次女マコトと、老いてなお元気な88歳の安盛と共に楽しく生きています。