昨日は花火待ちの間に投稿

したつもりが下書き保存に

なってましてm(_ _)m

おやすみになりました

m(_ _)m


少し遅れて載せさせて

頂きますねm(_ _)m


梅雨 梅雨 梅雨

ジトジト湿気で身体から

身体からキノコが生えそう

な毎日

 

沖縄は梅雨が明けて(^o^)

フワフワ綿雲が

天気が悪いとスクランブル

を(^o^)かけられない抹茶

 

梅雨に入った6月22日に

和歌山市と紀の川市を結ぶ

和歌山電鐵貴志川線の貴志

駅で三毛猫のたま名誉永久

駅長の没後9年祭が営まれ

たニュースが(T_T)

 

まだ9年 もう9年かぁ~

 

たま駅長は5月19日より

鼻炎による体調不良で休養

を取っていましたが悲しい

かな6月22日に老衰による

急性心不全で亡くなり

天国行きの列車に乗り

(T_T)貴志駅を出発しました

1999年4月29日生まれの

16歳のメスの三毛猫で人間

に例えると80歳前後です

 

たまの死は生前と同様に

海外メディアに相次いで

報じられました

死後2日経った6月24日に

新華社通信や聯合ニュース

などの中国や韓国系が伝え

たことを皮切りに翌25日に

はイギリスBBCやアメリカ

CNNなどのテレビ局やAFP

やAP通信などの通信社に

デイリーメールやウォール

ストリート ジャーナルに

リベラシオンやツァイト等

の有力紙に於いても報じら

れました

他にもガーディアンや

ニューヨークタイムズに

ワシントンポストなどの

主要メディアが6月28日に

営まれた(=^ェ^=)たま駅長

の葬儀の模様も交えつつ

報じました

赤字だったローカル線を

にぎわいのある鉄道に変え

ました

たま(=^ェ^=)は同駅の売店

である小山商店の飼い猫で

した

 

同居していた雌猫のちび

生死不明と(=^ェ^=)たまの

母親であるミーコも助役に

就任しました

 

ミーコは死去後の7月26日

に永久助役とされました

たまの母猫であるミーコは

元々 南海電気鉄道時代の

貴志駅舎南側にあった倉庫

内の作業員詰め所で飼われ

ていました

 

貴志駅手前の甘露寺前駅で

生まれたという

やがてミーコは貴志駅で

4匹の子猫を出産し(=^ェ^=)

そのうちの1匹が三毛だった

のです

 

兄弟達のうち1匹は死んで

しまい他の2匹は新しい飼い

主に貰われていきましたが

一番性格の(^o^)おっとり

したおとなしい三毛の子は

たま(=^ェ^=)と名付けられ

ミーコと一緒に小山商店で

飼われるようになりました

ちびは生後間もない頃に

駅前に捨てられていたのを

拾われ(T_T)たまが母親

代わりとなって育てていた

そうです

 

2003年貴志川線を運営して

いた南海電鉄が赤字解消が

困難なことを理由に路線

廃止を表明しましたが岡山

県を中心に公共交通事業を

行っている両備グループが

経営を引き継ぐ事となり同

グループの岡山電気軌道の

子会社として和歌山電鐵が

設立されました

この経営移管に際して路線

や駅の敷地は南海の社有地

から貴志川町【現在の紀の

川市】の公有地となり倉庫

は取り壊して駐輪場に倉庫

と駅舎の間はホームへの

公道として整備される事に

なった為そこに置かれてい

た(T_T)たま達の猫小屋は

立ち退きを迫られる事と

なりました

 

困った飼い主が2006年4月

1日 和歌山電鐵の開業記念

式典を終えた後の小嶋光信

社長に猫たちを駅の中に

住まわせてもらえないかと

相談したそうです

小嶋自身は自宅では長い間

紀州犬を飼っていたことも

あり猫よりもむしろ犬好き

でした

 

しかし(=^ェ^=)たまちゃん

と目があった瞬間にピカッ

と(=^ェ^=)たまちゃんの

駅長姿が頭に閃いたそうで

実に立派でキラキラして今

の日本人にもない目だと

そして神様から使わされた

鉄道の救世主と(=^ェ^=)

たまに惚れ込んだ小嶋社長

の発案によって招き猫に

なって欲しいとの願いを

込めて(=^ェ^=)たま達を

駅長などに任命することに

なりました

これは和歌山電鐵移管後に

合理化のために貴志駅を

無人駅化したことも背景に

あり猫に駅長を嘱託した例

は日本の民営鉄道では(^o^)

初めて

 

(=^ェ^=)たま達は売店と

倉庫の間に作られた猫小屋

で飼われるようになり昼間

は売店の前で過ごすように

なりました

 

近所の人たちや駅の利用客

に可愛いがられるいわば

駅のアイドルでした

そして(=^ェ^=)たまは必要

以上に耳を掻く仕草をする

と次の日の降水確率は90%

以上という天気予報の特技

があり三毛猫が船を護ると

いう言い伝えもあり漁師

から譲ってもらえないかと

相談された事もあったと

いわれています

 

亡くなった後に(=^ェ^=)

たまに永久名誉駅長の称号

が贈られました

社葬葬儀には地元の方や

ファンのほか海外からも

参列者が約3000人も詰めか

け(T_T)たま駅長にお別れを

告げたそうです

 

抹茶はニャンニャンニャン

の猫の日に貴志駅での(^o^)

イベントに行く事が出来ま

した

猫の日に(=^ェ^=)たま神社

の宮司の任命式でニタマが

宮司に任命されました

没後(=^ェ^=)たま駅長は

和歌山電鐵 小嶋社長により

名誉永久駅長に任命される

とともに8月11日に貴志駅

ホーム上にあるねこ神社

を建立

そして(=^ェ^=)たま大明神

として祀られました

9年目式年祭が営まれ小嶋

社長やニタマ貴志駅長らが

参列しました

 

 

はじめに小嶋社長が挨拶

たま名誉永久駅長は平成19

年1月和歌山電鐵の駅長に

就任し廃線の危機にあった

貴志川線の存続と再生に

貢献

 

平成27年6月22日に死んだ

後の今もなお人気を誇って

いますと今は静かに駅長が

眠る(=^ェ^=)たま神社で

功績を称えました

貴志駅は猫の顔をモチーフ

に屋根は伝統工法の檜皮葺

を使用した世界にひとつの

駅舎です

たま駅長がいたから今の和歌山電鉄がある死から9年2代目猫駅長らが祭事

駅長のニタマ

よんたまとともに

たま名誉永久駅長の職を

継ぎローカル鉄道再生に

貢献しています

 

小嶋社長は(=^ェ^=)

たまちゃんのおかげで

貴志川線が存続し(^o^)

ものすごく感謝している

未来永劫 地域を守って

いける鉄道にしていき

たいと話していました

 

たまちゃん

涼しくなったら又お参り

に行きますね

 

まる