郡上で御世話になる御夫婦

さんとこを離れ八幡の町に

下りてきました

 

空を見上げると少し星が

見えてたのですが雲が出て

きましたねぇ~

 

星見を諦めて夜の郡上八幡

城へときましたが(^o^)当然

扉は閉まり観覧時間は終わ

っています(^o^)

郡上八幡城の始まりは戦国

時代末期の1559年

 

郡上領主である東常慶と

遠藤盛数との間で赤谷山城

の戦いという郡上支配を

めぐる戦いが起こりました

 

その際に盛数が構えた陣の

場所が郡上八幡城の創始だ

そうですね

その後に盛数の子慶隆が

郡上を統一し城や城下町を

建設しました

 

その傍ら信長や秀吉に従い

各地を転戦したのち幕府の

命令で賀茂郡小原へ領地を

移す事となってしまいまし

 

1588年には慶隆に代わり

領主となったのが斎藤道三

や織田信長に仕え活躍した

稲葉一鉄の子の稲葉貞道

です

貞道は高い石垣の整備や

天守台等を設置を行い本格

的な山賊として改修を行っ

て旧態を一変させました

 

戦国時代末期に起源をもつ

郡上八幡城は幕末の明治

維新の動乱を受け全国多く

のお城と同じように取り

壊しとなりました

 

長らくは石垣だけが取り

残された状態でしたが

1933年に未来に伝わる郡上

八幡のシンボルとなるよう

願いを込めて木造の模擬

天守が再建されました

時を経た現在も日本最古の

木造再建城として郡上の

歴史を今に伝えています

 

1600年9月1日八幡城を

めぐって遠藤慶隆 金森可重

連合軍の東軍と稲葉貞通軍

の西軍との間で合戦が起こ

りました

 

この合戦が関ヶ原の戦いの

前哨戦の一つ八幡城の戦い

です

もとは八幡城主だった慶隆

は実は西軍に誘われていま

したが改易された秀吉への

恨みから東軍に加担する事

を決意したと言われていま

 

最終的に関ヶ原の戦いで

家康に味方した東軍が勝利

し慶隆は八幡城奪還に成功

しました

 

八幡城主に復帰した慶隆は

改修を終えた城に入り慶隆

は八幡城主としては2代目と

4代目ですが江戸幕府が

認めた郡上八幡城城主とし

ては初の城主となります

1667年慶隆の孫の常友は

城下町や城の大改修を行い

幕府より名実ともに城主と

して認められました

 

この常友が行った大改修が

現在ある郡上八幡城の礎に

なったのはもちろんの事

承応の城下町大火によって

失われた城下町を用水路の

整備などを通し火災に強い

城下町=水の城下町として

郡上八幡を再生させたので

 

江戸幕府郡上八幡城5代目

城主まで遠藤氏が続き後の

井上氏そして金森氏と続き

宝暦年間に起こった農民に

よる郡上一揆により金森氏

は改易となってしまいます

この郡上一揆は足掛け5年

にもわたる大規模なもので

最終的には農民側の勝利に

終わるという他に類をみな

いものでした

 

 

その歴史は2000年に映画化

もされ監督は岐阜県出身の

神山氏がメガホンをとった

事で話題になりました

そんな郡上八幡城の歴史を

書かせて頂きました

 

つづく