新年元旦に石川県能登半島

を襲った大地震


冬の寒い最中の避難ですが

力を落とさず支援物資の

到着やボランティアさんの

参加到着を待って下さいね


亡くなられた方々には志し

半ばで旅立たれましたが

必ず町は甦ります

自然の襲来は悲しいかな

なす術がありません

力を落とさず前を向いて

下さいねm(_ _)m


2023年の仕事は30日で納め

お墓に行って掃除して生花

を供えて新年を迎える準備

 

帰って荷物を車に積み込み

20時に大阪を出発

夜なので渋滞も(^o^)なんの

その(^oか^)スイスイです

 

22時半に道の駅(^o^)関宿に

到着(^o^)

水平飛行で御座います(^o^)

 

🤔年末に道の駅で一人寝る

抹茶(T_T)

何してるんやろなぁ~と

自問自答(^o^)

 

大晦日の朝を迎えました

江戸時代に整備された宿場

町で東海道五十三次の京都

まで53ある中の東京から

47番目の宿場町が関宿です

宿場町の入口にあたる所が

あります東追分

【ひがしおいわけ】木崎

から西追分【にしおいわけ】

新所までの約1.8㎞の道のり

に本陣そして脇本陣に旅籠

問屋場などの建物が並び旅

の便宜を図っていました

(^o^)朝からウォーキング

3.6キロを歩きますが(^o^)

駐車場までの戻りを入れて

4キロです(^o^)

西の追分からは大和街道が

東の追分からは伊勢別街道

が分岐していました

 

関宿の西の端に位置し

東海道と伊賀や奈良に続く

大和街道の分岐点でもあり

ました

こちらには旅人の道中安全

を祈願して高さ2.9mの

道標が建立されていて

南無妙法蓮華経と

ひだりハいかやまとみち

と刻み込まれています


いか?剣先?もんご?

いえいえ(^o^)伊賀者甲賀者

の忍者の町伊賀上野の伊賀

への大和街道を言います

東追分は関宿の東端にあり

東海道と伊勢別街道の分岐

点でもありました

 

関西方面から東海道を利用

し伊勢神宮に参拝を訪れた

人達は関宿から伊勢別街道

で伊勢を目指していました

東の追分に伊勢神宮の遥拝

用の鳥居が設けられました

鳥居は寄進により建て替え

られていましたが明治2年

以降は伊勢神宮の式年遷宮

の際に内宮宇治橋南詰の

鳥居を移すのが慣わしと

なりました

鳥居の麓に常夜灯や一里塚

そして道標などが残って

いました

江戸時代以前から交通の

要衝として栄え鈴鹿関が

置かれていましたが東海道

が整備される事になり参勤

交代や伊勢参りの人々で

一層の賑わいを見せるよう

になったと言われています

街道筋はモノクロが風情が

出て合いますね

繁栄したこの町は古い町家

を残す家並みが狭い道路に

沿って続き往時の宿場町の

賑わいを今なお当時の(^o^)

雰囲気が残されています

江戸から明治期にかけての

町屋が約200軒も連なる

様子は圧巻で国の重要伝統

的建造物群保存地区にも

選定されています

往来の旅人に人気があった

のは京都の御所まで運ばれ

たという深川屋の銘菓や

前田製菓が復活させた

こしあん入りの団子餅の

志ら玉で何と2軒は今も健在

なんです

全てが慌ただしく変わって

きた時代の中で関宿だけは

ゆっくりとおだやかな時間

が流れているかのような

感じがしますね


前から飛脚や籠屋さんが

来そうな雰囲気ですね

貴重な歴史的建造物も

そこに暮らす人々の生活に

溶け込み美しい町並みを

作り出しています

 

高札場跡


高札場は現在の関郵便局前

に8枚の高札があったとされ

生活に関わる様々な模範や

キリシタン令や徒党に強訴

などの禁止といった幕府の

禁令や隣接宿場までの人馬

駄賃の規定などが書かれて

いました


一つ 抹茶と顔を合わす

べからず

二つ 抹茶の匂いを吸ったら

救急車を呼ぶべし

三つ 抹茶を籠に乗せる

べからず

四つ 抹茶を代官所に連れて

来るべからず

と書いてました(^o^)

鶴屋脇本陣跡

波田野家は玉屋や会津屋と

並んで関宿三大旅籠に掲げ

られる旅籠でした

本陣は大名や公家など高貴

な人が宿泊する施設で

脇本陣は本陣に宿泊できな

い場合の予備の宿泊施設に

なります

 

脇本陣は本陣と違い平素は

庶民の宿泊が許される事も

あり旅人にも馴染みのある

施設で江戸時代当時の外装

を留めています

虫籠窓【むしこまど】

部屋の上部にある縦格子状

の通風孔や明かり取りです

百六里庭と呼ばれる眺関亭

 

関宿沿いに造られた庭園

百六里庭は関宿が江戸から

106里余りあることから

名付けられた休憩スポット

なっていて階段を上がると

テラスになっています

通りに面して建つ眺関亭の

テラスはズラリと並ぶ関宿

の町並みが見られます

会津屋 【あいづや】


女性の身でありながら父の

仇討ちを成し遂げて有名と

なった関の小万の生家でも

あります

関宿を代表する大旅籠の

一つの会津屋は1998年より

気軽に入れる食堂として

開店しました


おこわが有名で街道そばも

提供されています

深川屋【関の戸】


ここは創業380年の老舗で

関宿にて徳川三代将軍家光

の時代から続く老舗和菓子

屋さんです

 

関宿を行き来していた大名

たちの間で人気となり京都

の朝廷にも認められた御所

御用達の歴史ある銘菓なん

です

こちらの看板には一工夫が

されています(^o^)旅人の

向かう方向を間違わない様

江戸から来た旅人が京方面

は(^o^)ひらがな

京から江戸へ向かう旅人へ

は漢字で書かれています

関の山と言う言葉を聞いた

事があるかと

 

関宿で夏に行なわれる祇園

祭りに繰り出す山車は豪華

な事で東海道に知れ渡って

いました

 

そして山車は諸説ある

関の山の語源の一つである

とも言われていて山とは

山車の事で関宿の山車ほど

立派な物は造れない又は

山車が東海道筋をふさいで

町屋の屋根ぎりぎりを通る

為これ以上通るに通れない

様子から関の山と言うよう

になったと伝わっています

銀行も景観を害わないよう

に時代に似合った建物に

なっています

(^o^)電話11番

昔は電話が少なかったん

ですね

こちらは(^o^)だいぶん後に

回線を引いたんですね


45番

かなり昔のアンプルとか薬

がウインドウに並べていま

した

そんな旅人になって(^o^)朝

から4キロ歩いてた抹茶


代官所の役人に捕まって

しまった抹茶で座いました 


つづく