新宮市にある熊野速玉大社
を後にして御飯が先か
行くのが先かと迷ったの
ですが
丁度 昼時なので混んでるし
先にお詣りする事に
神々が降臨した熊野信仰の
発祥地になります
熊野三山の熊野権現が降り
立った地でココから熊野
信仰が始まりました
天ノ磐楯
【あまのいわたて】と呼ば
れる切り立つ崖の上に佇む
凄い超最強パワースポット
神倉神社
入り口には高齢の方や足腰
の弱い方や子供や泥酔者の
方禁止そして端を登ること
禁止また雨の日は危険
ハイヒールでは登れません
という注意書きがあります
(@ ̄□ ̄@;)!!
どんなとこなん?脅しか?
参道へは橋を渡り進みます
橋を渡ると右手には社務所
があり神社の説明をして
下さいます
橋を渡り参道は左手へと
足を運びます
手水舎があります
由緒ある神社ですが手を
入れてない様な手水舎に
感じました
参道からは鳥居が少しだけ
見えてきますが
(@ ̄□ ̄@;)!!
あの立て看板の意味が良く
わかります
鳥居前には杖が置かれて
いました
杖 必ず必要です
持っても恥にはなりません
(@ ̄□ ̄@;)!な な なんと
(@ ̄□ ̄@;)!!マジ
(@ ̄□ ̄@;)!絶対無理
鳥居で一礼して見上げた
先にある挫折感1000%
源頼朝が寄進した急勾配の
鎌倉積み石段が垂直にある
様に見えます
538段の石段
(@ ̄□ ̄@;)!!手すり
無いし(-""-;)これガチです
観光地の神社とかだと綺麗
に石の階段が並んでいるん
ですがココはかなり危ない
並びになっています
驚愕の石段は写真で見る
より実物はエグイですよ
この恐ろしい石段を上がる
体感傾斜50度石段と言うか
もはや崖
熊野古道の一部である急峻
な石段は今まで訪れた神社
の中でも間違いなく参拝
難易度トップクラス
こんなの階段じゃないわ
足を滑らしたら普通に逝く
見て良いのは足元だけで
ロッククライミングをして
るつもりはないですが直角
に近い急な石段を登るのは
ロッククライミングです
命綱が欲しいですマジで
上に行くにつれて余計急で
険しい石段になってないか
もはや階段というか壁
何が怖いって踏み外したら
下まで転がり落ちるしか
ないという
決して下を見てはダメ
登っていく上を見ても途方
に暮れます
なんとか冷や汗をかき
ながら頂上まで来ました
("⌒∇⌒")
頂上にたどり着けば
そこには御神体の
デカイ岩
のゴトビキ岩が
何でそんなところに?と
いうアンバランスな場所に
鎮座しています
これを見ると神々しさを
感じます
怖い思いしてでも訪れて
良かったと思えるのです
標高120メートルに鎮座し
どっかり構えている風貌が
何とも不安定そうな場所に
御神体のゴトビキ岩
ゴトビキとは新宮の方言で
ヒキガエルという意味で
ヒキガエルに似た岩という
事だそうです
しかし?なんで?こんな?
場所に?こんな巨大な岩が
落っこちずにあるんだろう
しかしながら
その神秘さに思わず心が
洗われました
御神体である巨大な霊石を
背中に宿すパワースポット
神倉神社の石段は上ったら
最後
帰りの事を考える抹茶に
恐怖感が襲いかかります
階段を降りるのは登る以上
に恐ろしい事に気がつきま
す
下りは最悪
途中から先が見えない
急なのが再認識出来ます
(T_T)
スキー場で滑った35度
なんてもんじゃ~ないです
先が見えないこの角度
ジェットコースターが頂上
から一直線に降りる時の
光景です
それくらい凄い石段は生命
の危機感が一層強くなり
ます
写真撮るのも命がけです
転がり落ちたらマジ逝く
どうしよう(@ ̄□ ̄@;)
冷や汗をかきながら
一歩一歩 着実に降りますが
抹茶も学習します("⌒∇⌒")
横下りで下りると少しは
マシでした
下まで到着した時
ふっと安堵し二度と上り
たくないと思いました
福山雅治やキムタクが来た
こともあるんですよ~とか
言ってた神倉神社は恐怖の
最強パワースポットでした
さてランチにいきましょう
恐怖感が強く(-""-;)お腹も
空いてる様な空いてない様
な感じが("⌒∇⌒")
和歌山市内でも入った
めはり屋さんの本店です
和歌山県南部の新宮市に
ある老舗店なのですが大阪
や和歌山市から新宮市まで
の移動は遠くて大変です
ので新宮まで食べに行く
ことは出来ません
1962年創業 紀州 新宮名物
めはり寿司の専門店
総本家めはりや新宮本店
創業から変わらぬ味を守り
続け作り置きは一切せず
注文を受けてから握って
くれます
ほかほかでホクホクの
めはり寿司が食べられます
南紀新宮名物のめはり寿司
を中心にオデンや串カツ類
のメニューがあります
初めての方には("⌒∇⌒")
お試しセットもあります
めはり寿司は
げんこつサイズの大きさで
熊野の郷土料理で高菜を
塩漬けした漬物を秘伝の
タレにつけ白飯のおにぎり
に巻くシンプルな料理です
日本で最古のファースト
フードとも呼ばれてて
ご飯と漬物を手早く食べれ
るように作られたのが
始まりなんだとか
何百年もの昔から紀州
特に新宮を中心とした南紀
の農 山 漁村で労働者の
弁当として伝わり従来は
麦飯でソフトボール程の
大きさに作られたと言われ
ていました
食べるとき目もクチと同じ
ように大きく張るところ
から目を張る寿司
めはり寿司といわれ伝わり
ました
素朴なものですが漬物と
ご飯が一体となり形くずれ
などしないところから
日本一の腰弁当として
食べられていました