『悠々として 急げ!』 ”Festina Lente”  
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「ネモミ讃歌」4


    

いつも

笑顔を

ありがとう


君と僕とで

寿 「新しいこの一年に乾杯」

新年、

自身に愛情とプライドを常に心に秘めつつ、人としての使命を忘れることなく過ごそうね。


俺とネモミと・・・。


『悠々として 急げ!』 ”Festina Lente”  


自然を希求する

  「拈華微笑」「教外別伝」の境地


自分に正直に生きると心に決め自分の選択を信じ、自分自身の信ずる道に対してだけは自信を持ちその身CX比の真ん中を正々堂々胸を張って歩けるようになりたいと切望してそれだけは何があっても譲ることを拒むことのできる生活を送っている人は、常に穏やかでありながらも胸の内には手入れを決して怠ったことのない熱くて鋭く触らずとも斬れる鋼の刃を他人に対して絶対に抜く事はないけれどしっかりと大切に収めてある筈だ。そして毎日を謙虚に一生懸命に感謝を忘れるYことなく生きている。

自分の弱さを嫌になる程思い知らされ、徹底的に立ち上がれない程に打ちのめされ、心には無数の癒えない深い傷を負いながらも、絶望の淵の際で極限の綱渡りをするのだ。そこで更に胸の内深くからこみ上げてくる焦燥や妄想で自信を保つことすら不可能になるのだ。

     「いよいよ底をついたな。さすがに今回は俺もここまでか」と覚悟を決め、自身の腐敗、解体、汚濁、頽落の過程を知覚しながら自身が帰化し溶解していくその瞬間には、男としての誇りと決めた、自分の選んだ道を正々堂々胸を張りその真ん中を歩いてきた誇りを絶対に気化させず溶解も拒んで単なる思惟になってでも残すことを諦めたりしない。

 そんな事は人生に於いてもそう何度も経験するものでないけれど、そういう経験を体験したごく僅かな人間は、自身に自然が入り込んできているのを感じられるようになるのだ。その瞬間、「拈華微笑・教外別伝」の意味が降ってくるように理解する。自身と自然との波長の完全な一致が、森羅万象の恒常的な不変、普遍の真理や万物流転という宿命に形こそ変われども、エネルギーは不変であり、減りもしないけれど増えもしない。善でもないし悪でもない。昂揚もなく落胆もない。沸騰もなく沈殿もない。暑熱もなく凍結もない。希望も期待もなく後悔もなく逡巡もない。比類ない澄明そのものの無窮と静謐を感ずるのだ。

「心の平穏な無」のあること、それは穏やかで淡麗の極みと呼ぶにふさわしいほどの完璧なる心の無化状態である。

やがてまた、意識と自然の波長に固有の揺らぎが徐々に始まり、自身に諦観や逡巡、決心や期待、希望が浮かび始め懈怠の中でまた穢される日常が始まるのだ。


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