前々回のブログ「黄色いバナナ」では、

また、ヨーロッパなどで英語を母国語としない国の子どもたちは、外国語としてどこの国の言葉を学んでいるのだろうか。

などと記していた。

今日はその補足をしてみようと想う。

自慢めいた話も含まれるであろうから、いささか面映ゆくもあるのだが昔のことを想い出しながら。

と、いうことでご海容を。

 

1981年のことだから、今から40年以上も昔の話になる。

社命で技術提携先の研修を受けるべくデンマークに行っている。

初めての海外体験。

腹違いの兄はそのことを洋行などという古い言葉を使って喜んでくれた。

が、当時はまだ東西冷戦の時代

ヨーロッパまで行くにはアラスカ・アンカレッジ空港経由北極圏の上空を飛んでいかなければならなかった。

西ドイツハンブルグに到着した後はトランジットでデンマークコペンハーゲンに移動。

そこで商社の人の出迎えを受け、世界最古のテーマパークであるチボリ公園などを案内してもらった。

コペンハーゲンで一泊した後に、研修先の企業の所在地であるテナーまでは、パイロット席が近くに見えるような小型機で移動。

テナーは人口よりも放牧牛の方が多いといわれる田舎町。

研修後は電車でテナーハンブルグコペンハーゲンへ移動。

 

研修の終了証書

7年かかって卒業した大学の卒業証書よりも大切に保管している。

 

研修そのものは英語で行われた。

一緒に行った研修生は3名

技術や設備などの用語は共通なので片言の英語しかできないぼくたちでも何とか理解をすることができた(?)

もちろん、お互いの語学力不足を補いながらではあったのだが。

研修の期間中、担当者のお宅の食事に招かれたことがあった。

その方は母語であるデンマーク語以外に英語も話せた。

が、奥様の方はデンマーク語ドイツ語のみ。

英語は話せなかった。

 

日本への帰途、飛行機に乗るまでの時間に余裕があったため立ち寄った

コペンハーゲンの人魚姫の象は驚くほど小さかった。

 

ヨーロッパのように陸続きの国々では、国境線などというものは常に変化をしてきている。

また国境があっても陸続きだから比較的簡単に行き来ができる。

現にぼくたちも車で西ドイツとの国境線を超えての買い物に連れていってもらっている。

国境を超える時、ぼくたちはパスポートの提示が必要だったが、運転をしてくれた人はフリーパス。

両親や曽父母たちがそれぞれ違う母語を持っていることは稀なことではないし、親戚や友達間においても同じことが言える。

ヨーロッパでは母国語以外にも1~2ヶ国の言葉を話せる人は普通にいるとのことだった。

 

ドイツ・オランダ・ベルギー三国間の国境

 

他方、日本は島国だと言われる。

四方を海で囲まれているからだ。

が、古来から日本は中国大陸や朝鮮半島とは頻繁に行き来をしている。

そして多くのことを学んできた。

当時は中国や朝鮮の言葉を理解できる人や漢文などで筆談できる知識人は現在より多かったのではないか。

少なくとも明治期以降までは、中国や朝鮮は間違いなく日本の師匠だったのだ。

 

この満面笑顔の表情をどう理解すればいいのだろうか。

白人クラブの親玉から、親しく声をかけてもらったから?

 

いち早くヨーロッパ文明を取り入れた日本は黄色いバナナ(脱亜入欧を志向するあまり、中国や朝鮮を見下すようにさえなってしまった。

情けないことに、敗戦後の今もそれが続いている。

隣国との平和な関係を真に望むなら、軍備などに力を入れるよりお互いの言葉をそして文化を理解しあえる人を一人でも多く育てることの方がはるかに有効なのではないか。

 

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(今日の別冊付録)

 

ぼくは言語学者ではないので、間違っているかもしれない。

が、高校生の頃に、フランス語、スペイン語、イタリア語は日本における方言程度の違いしかないと聞いたことがある。

デンマーク語もドイツ語に近いのではないか。

 

さて、この日本列島の言語を、

エスノローグは、日本語、アイヌ語、11種類の琉球語、そして3種類の手話の合計16の言語がある

としている。

また、

UNESCO(国連教育科学文化機関)は日本語、アイヌ語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の9言語と分類

日本では方言とされているものを、外国の学術機関独立した言語だと認めている。