ブログにアップしようと考えていた記事があった。
が公私の多忙にかまけてそのタイミングを逃してしまった。
ならいいやと、そのままやり過ごすつもりでいた。
が、金曜日(21日)の朝に出会った光景と土曜日(22日)の「子どもの寺子屋」主催の講演会がそんな想いを吹き消してくれた。
ということで、今日のブログ記事の時系列は、
6月21日(金)➡6月22日(土)➡6月16日(日)
と、変則的なものになっている。
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6月21日(金)は、月に一度の降圧剤の薬を病院に受け取りに行く予定の日。
病院までの往復の徒歩は約3,500歩。
当然ながら、歩いて行く。
病院まで行く途上の小路には小さな休憩所がある。
その日はベンチに制服を着た女子高校生が一人、スマホをながめながら所在なさげに腰を掛けていた。
腕時計を覗くと朝の10時。
高校の始業時間はとうに過ぎている。
その一瞬、彼女に声をかけるべきかをぼくは迷った。
と同時に、怪しげなオッサンだと疑われたくないとの考えも。
結局、ぼくは声をかけずに通り過ぎることを選んだ。
そしてその帰り道、彼女の姿はすでに見当たらなかった。
果たして、ぼくの選択は正しかったのだろうかとの想いのみが残っただけ。
小路の休息所
翌、6月22日(土)の午前中は子どもの寺子屋主催の講演会。
テーマは「不登校保護者支援から見えること」
講師は“おやすみ処ami”を運営している方。
不登校保護者の気持ちをシェアする「不登校保護者のお休み処」を月に3回、北九州市内の5カ所を持ち回りで開いておられる。
不登校保護者には「社会」「学校」「親」さらには「配偶者」からの圧力がかかっている、と。
また、不登校が子どもをダメにするのではなく、不登校をダメだと思っている大人が子どもをダメにする。
という話などを伺った。
他にも、不登校保護者サポーター養成講座の開設や小中学生のためのオンラインスクールでの担任業務も開催しておられる。
で、今日の最後は、一度はアップをやり過ごそうと考えていたもの。
先週の6月16日(日)の午前中は「NPO法人チャイルドライン北九州」の年次総会。
ぼくは昨年の10月頃にそのNPO法人の理事を辞退し、それ以降は電話を受け取る活動はまったくしていない。
18歳までの子どもからの電話を受ける活動は午後3時から午後9時まで。
ぼくの左目は角膜障害で矯正不能。
加齢に伴い夜の運転に自信が持てなくなってきていることが活動の辞退を申し出た理由。
もっとも、名のみの正会員ではあり続けていたのだが。
誘われるままに総会に出たそんなぼくをメンバーはやさしく迎え入れてくれた。
総会後の午後は「NPO法人チャイルドライン北九州設立20周年みんなの集い」も。
ぼくがチャイルドライン北九州の門を叩いたのは現役をリタイアした直後だから2011年頃のはず。
つまり、まだ13年しかたっていない。
当然のことながら、参加者の中には見覚えのある顔もあれば知らない人も。
立ち上げ当時はまだ学生だった二人は赤ちゃんを連れてやってきていた(内一人は顔見知り)。
当時のスライドなどを拝見し、参加者全員の一人ひとりが設立20周年への想いを語り、ぼくもまた一言。
で、その会の終了後は数少ない男メンバー三人(内一人は顧問)が小倉に場所を移しての昼酒。
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さて、今日のブログのタイトルをどのようにつけようかと迷った。
確かに、ぼくはリタイア後のぼくの時間を子どもに関することに使おうと想い定めてきた。
が、他方ではどのように言葉を飾ろうと、耳触りの良い居場所を求めていきただけじゃないかとの想いも消えない
そんな折は、所詮はボケ防止と暇つぶしと開き直ってもみた。
それでも、偽善者という言葉さえも頭をよぎる。
そのような答えのない問いを、繰り返していて何時まで経っても進歩がない。
が、リタイア後13年を経た今では、人が好きだ子どもが好きだう想いだけはどうやら嘘はなさそうだと思えるようになってきている(よう気がする)。