昨日のうちにアップするつもりでいたのだが、野暮用で遮られたので一日遅れてのアップ。
その過記事に目を通しながら、11年という歳月を経ても何の進歩もしてない自分の姿に、ホトホトあきれる。
ということで、その11年前の昨日の過去記事
ただし、本文中の青字の部分は、2024年5月22日時点のぼくの言葉。
ただし、辺見庸氏の言葉は当時のもの。
氏の文章とぼくの言葉を区別するために色分けをしているだけ。
また過去記事についても、文章に多少の手を加えているのはいつもの過去記事と同じ。
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ドント・トラスト・オーバーサイテイ(サーティ)
2013年5月22日付
二十歳代の前半だったころ、“ドント・トラスト・オーバー・サイテイ(サーティ)”という言葉をよく口にしていた。
そう「三十歳以上の人間を信用するな」という意味で使っていたのだ。
そして、当時のヒッピー達が語っていた「人類なんて、原生アメーバーからやり直すべきだ」という言葉にも、妙な親近感を感じていた。
ところが、ベトナム戦争も集結し、方向性を失っていたぼくは、吉本隆明氏の「生活者」という言を唯一の縁(よすが)として結婚をし、子をもうけ、そして就職をもした。
もう、40年以上も昔(今から数えると50年以上)の話になるが、ヒッピーとは真逆の生き方を選んだのだ。
権力と闘い続けるという言葉は潔くカッコいい。
が、当時のぼくは学生の身でありながら無謀にも結婚をし子どもまでをも授かってしまっていた。
親からの送金を期待できないぼくには、とにかく卒業をし就職をして生活費を稼ぐという選択肢しかなかった。
もっともそんなものは口実にしか過ぎず、ただの小市民でしかなかったというだけのことなのだが。
そして、その勤めた会社はリタイアをするまでに三度変わっている。
全て中小企業だったが、それなりの地位も手に入れた。
自分で言うのもなんだが、企業人としてのぼくは、そこそこ(優秀な?)企業戦士だったのだろう。
配属された小さな職場を潰さずに存続させることのみを考え、それ以外は何も考えずに働いていた。
というより、仕事そのものが楽しくもあったのだろうと思う。
ある時までは…。
だが結果として、65歳(今は75歳)になるまでの馬齢を重ねてきただけ、という事実は変わらない。
辺見庸氏は、
問題はジジイとオヤジ。かつてはそれらの言葉を他者に浴びせかけていたくせに、その後宗旨替えしみんなで反動を支え、みんなで変節し、みんなで堕落し、しかも、それを組織や時代のせいにして、のうのうと生き延びている年寄り連中をこそ、構うことはない、容赦なく撃つべきである。「堕落」
と、指摘している。
ぼく自身が権力者であったとか、積極的に時の権力者を支持してきた、という覚えはない。
だが、今という時代を作りあげてきた世代の一人だという自覚はある。
もっとも、そんな自覚などは何の役にもたちやしない。
犬にでもくれてやればいい。
行動しないジジイなどには、なんの価値もないのだから。
そのことも、よくわかっている。
ヒッピー達の憧れの聖地。ネパールの首都・カトマンズ。
だが、だからといって、いまさら家庭を壊す勇気も気力もない。
まさに“常識人面しただけの臆病なジジイ”ほど始末に悪いものはない。
せいぜいのところ、ブログ上でモゴモゴと愚痴っているだけの存在。
やはり、「構うことはない、容赦なく撃つべき」なのだろう。
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(今日の別冊付録)
高校の世界史「太平洋・オセアニア分割」
14分の動画です
日本のマスコミは、ロシアの戦術核の使用を想定した演習は報じるが、米国の「臨界前核実験」についてはほとんど触れない。