今日はブログの更新を休むつもりでいたのだが、11年前の今日の過去記事を目にした。
特に取り上げたいと思えるようなテーマに出会わない時には、〇〇年前の今日のぼくはどんなことを考えていたのだろうと物色する癖がある。
その記事を今日は再掲する。
テニオハなどの表記に手を加えたのは従来通り。
過去記事を再掲する前に、昨日と今日そして明日の予定をも認めておく。
昨日の夜はこの4月で中学生になる孫娘の入学祝。
今日はヨークシャー犬・メープルの初七日(?)
動靴霊園に出向いてお骨と再会。
その後、カミさんと次女は入院中の義兄さんのお見舞いへ。
明日は朝から義兄さん宅の家具や電気製品などの処分をするために出かける。
4月中に借りている家を大家さんに返したいから。
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兵役拒否の自由人
2013年4月15日付
また一人、ぼくの大好きな役者さんが亡くなった。
三國連太郎(享年90歳)さんのこと。
今日は新聞の休刊日なので、新聞報道が彼の訃報をどのように伝えるかは知らない。
いろんな逸話のある人だが、テレビなどではあまり伝えないであろうエピソードを一つ紹介し、弔辞としたい。
20歳の時、三國蓮太郎氏のもとに赤紙(召集令状)が届いている。
母親からは「おまえも親不孝をしたが、これでやっと天子様にご奉公できるようになった。名誉なことであるからお役にたってもらいたい」
という手紙を受けている。
だが、氏は徴兵を忌避して逃亡することを決意。
その西へ西へと逃亡する途中で母親宛てに手紙を書いた。
「何としてでも生きたいので逃げる。親や兄弟に迷惑をかけるが許してほしい」と。
が、九州から朝鮮半島に渡ると、その逃亡先までをも手紙に書き添えてしまった。
結局、母の密告で捕まり静岡の連隊に入隊させられ、中国の最前線に送り込まれている。
そして、多くの戦友の死を目の当たりにすることになる。
赤紙(召集令状)
敗戦後、氏はスカウトされて映画俳優になっている。
その後の氏は養父の葬儀には撮影の仕事を休んで参列しているが、実母の葬儀には出ていない。
「母の人間としての感性を狂わせたのは、明治以来の軍国主義の政治や教育だったと思う。1人では逆らいきれない国家の暴力によってねじ曲げられてしまったのです」
という認識はあっても、心情的には収まりきらないものがあったのだろう。
徹底した自由人であろうとした彼は、親鸞への造詣が深いことでも有名。
氏は、親鸞をテーマにした小説も書いており、映画「親鸞・白い道」では原作・脚本・監督作までしている。
その作品は、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞している。