一昨日(土曜日)の午前中は“子どもの寺子屋”がある日。
いつもなら車で行くのだが、廃車にしようかと迷っていた車を結局は車検に出すことにしたので手元にない。
というこで歩いて往復することに。
午後は午後で、車検に出していた車を引き取りに行きその帰り道は久しぶりにカミさんと共に遠賀川の河原へ。
目的は野蒜(ノビル)の採取。
が、ものの見事な空振り。
影も形もありゃしない。
この日の成果はわずかに土筆(ツクシ)が採れたのみ。
そして久々の歩数8,000歩超えと徒労感。
土筆を採っているのは我がカミさん
家に帰ってパソコンを立ち上げると、
京大タテカン、入試会場で浪人煽り「多浪のフリーレン」「浪人はとびきりの愛だ♪」規制強化の中、タテカン作る思い
という記事が目に入った。
ぼくもまた、56年前に1浪をして大学に入学している。
その当時の大学構内や正門付近はタテカンが乱立しいた。
それが当たり前の光景だと思っていた。
ぼく自身も入学後はタテカンを作っていた。
これは現在の京都大学のタテカン風景
景観保護か、表現の自由かが法廷に持ち込まれている
たまに大学を訪れることもあるのだが、その大学構内の静かさ、そのたたずまいの牧歌的な雰囲気には逆におどろかされる(京都大学は数少ない例外)。
京大の立て看板の大半を作っているのは、「日本最大の立て看サークル」を標榜する京大サークル「シン・ゴリラ」だそうだ。
で、その「シン・ゴリラ」がタテカン運動を続けている理由は、
・立て続けることが規制に対して最も有効な手段だと思っていること。
・仮に裁判などを通じてタテカン規制が撤廃されたとしても、タテカン文化が継承されていなかったら、以前のように百万遍や東一条にタテカンが立ち並ぶ光景は見られないこと。
・タテカン運動を通して、それに関わる、ないしはそれを見た人々に自由を感じ取ってもらい、この息苦しいような世の中で豊かな活動を行うきっかけになればと思っていること。
だという。
社会の問題に未熟ながらも目を向け、行動を起こしていたかつての大学生(もちろん全員じゃない)。
かたや、素直で行儀の良い今の大学生。
就職の妨げになるような事には関心もなければ、関わろうともしないからなのだろうか。
どちらの世代がどうだとかは軽々には言えないのかもしれない。
が、タテカンが消えてしまった今の大学の姿は従順で無気力な今の日本社会と共鳴し合っていると感じるのはぼくが歳をとったからだろうか?
マスコミは有事避難などという言葉を使っている。
しかしながら、これは多良間島の千人が戦争に巻き込まれることを前提としている計画。
故郷を生活の場を失わせる戦争の準備を進めていることに他ならない。
いったいだれが台湾有事を煽って戦争をやりたがっているのだろうか。
タモリさんが言っていたようにまさしく今は「新しい戦前」だということが現実となっている。
が、ヤマトのマスコミはオオタニさんのことしか報じないし、多くの人もそのことにしか関心はないらしい。
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翌日曜日の午前中は処分を検討している義兄さんの釣り船の掃除
二人の娘が頑張ってくれた
午後は午後で、義兄さん宅の家具類の採寸取り。
4月度中に大家さんに借りている家を明け渡すため。