金正恩委員長の最高人民会議における韓国を「第一の敵対国、不変の主敵」と位置付けるべきだととの報道を目にし、どう受け止めてよいのか困惑していた。

が、武蔵大学・立教大学非常勤講師の高林敏之氏の見解を目にし、かなり刺激的な論調の日本のマスコミ報道などよりはるかに納得できるものだった。

ということで、高林氏の了解を得て全文を紹介させていただく。

ただし、本文中の太字・赤字部分はぼくの手によるもの。

また本文中においてDPRKと表記されているのは、

Democratic People's Republic of Korea(朝鮮民主主義人民共和国)の略称。

 

2018年9月19日、板門店にて

 

2019年6月30.同じく板門店にて

 

この時点では朝鮮半島の雪解けを期待していたのだが・・・。

 

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この金正恩DPRK国務委員会委員長の最高人民会議における提言は非常に重い内容であり、多くの友人方が戸惑っていることだと思う。

 一切の情をいったん排して虚心に判断するに、金正恩委員長の提言のポイントは結局のところ、「ニ国家関係」に尽きる。たとえ「第1の敵、不変の主敵」という規定であろうと「戦争中にある完全な二つの交戦国関係」であろうと、韓国を別の国として言わば「国家承認」するとともに、自国を朝鮮半島の「北半部」と呼ぶことを止め主権国家としてのDPRKの領域を法的に確定しようという点がミソである。1970年代のドイツとは違う形だが、南北二つの国家を現実として法制度化しようというわけである要するに、「民族統一」をもはや過去の遺物であり幻想と見なし、夢にすがるよりも現実の国家の存続と建設に集中するという最終的な決断を下したということだ。祖国平和統一委員会をはじめ様々な南北対話・協力関係機関はおろか対南宣伝サイトまで廃止し、これまでの南北間の成果文書も破棄し、過去に建設を進めてきた京義線の連結も完全に遮断するという。そればかりか、共和国の始祖たる祖父・金日成主席が掲げた統一原則を称える「祖国統一三大憲章記念塔」(私も間近に見たことがあるが、実に巨大で壮観)さえも撤去するという宣言は、その決意の固さを表している。

 金正恩委員長の、ドナルド・トランプ米前大統領や韓国進歩派政権に裏切られたという失望感と怒りは、それほどまでに強かったのである(開城の南北共同連絡事務所の爆破はその最初の発露だった)。あれだけ胸襟を開いて朝鮮戦争終戦や制裁解除に向けた交渉に臨み、金正日以降DPRK最高指導者が滅多にやらないシンガポールやベトナムへの遠出も辞さず、韓国の大統領に平壌市民の前での演説まで認めた。それだけ期待をかけ、またDPRK国民の期待を盛り上げたにもかかわらず、トランプはハノイで突然それまで受け入れていた「行動対行動」の段階的路線をかなぐり捨てて米朝首脳会談を台無しにし、文在寅政権は(何かと縛りの多い韓国の立場に同情する気持ちは今も変わらないが)、米国の意向を忖度せず自らの意思で南北和解に向けた大胆な一歩を踏み出せなかった。国民に期待を抱かせたDPRKを取り巻く国際環境の改善は何ら成し遂げられなかったのであり、金正恩委員長の面目は丸潰れとなった。そして米国はバイデン政権のもとで昔ながらの朝鮮半島政策に回帰し、韓国は検察出身大統領の右翼強権政権に交代した。私が彼の立場でも見切りをつけたくなるだろうと思う。

 金正恩委員長の提言が「戦争に踏み切るという戦略的決断を下した」ものだという米国の専門家らによる見解は、どうにも本筋を外れているように思える。DPRK側の公式発表で毎度お馴染みの対決的レトリックにとらわれて核心を見逃しているのではないか。

 確かに金正恩委員長は《韓国の占領・編入》を口にした。しかしそれは「朝鮮半島で戦争が起こる場合には」という受け身の条件付きであるし、実現可能性などないことは彼自身がよく承知しているはずである。むしろ重視すべきは、演説の締め括りでDPRKの軍事力を「武力統一のための先制攻撃手段ではなく、自衛権に属する正当防衛力」だと規定していることであろう。要するに《DPRKから韓国を攻撃する気はないし、そもそも統一自体にもはや関心はないが、もしもDPRKが攻撃されて戦争になった場合には自衛権を行使して反撃し、徹底的に潰す》と述べているわけであるから、「戦争に踏み切るという戦略的決断」とはかなりニュアンスが異なる。むしろ「二国家関係」を認め、南進統一を仕掛ける可能性を最終的に放棄し、自衛戦争に武力行使の可能性を限定しようというのだから、逆説的に戦争抑止を公式化したとさえ言えるように思う(もちろん南北の和解と朝鮮戦争終戦に比べることはできないが)。

 実のところ朝鮮戦争は今も「停戦」しているだけで戦争そのものは法的に続いているのだから、金正恩委員長が「戦争に踏み切るという戦略的決断を下した」もへったくれもないのである。西側はどうも自分たちの立場に対する自覚が乏しいようなのだが、韓国と日本には「国連軍」を称する米英など十数ヵ国の多国籍軍とその後方基地が今も存在して言わば臨戦態勢にあり、頻繁に挑発的な合同軍事演習を繰り返しているばかりか(控え目に言っても「挑発」はお互い様である)、米国以外の「国連軍」参加諸国との軍事的連携がますます強化されつつある。朝鮮「国連軍」を設置した1950年の国連安保理決議もいまだに有効である。つまり金正恩委員長は、朝鮮「国連軍」がDPRKに対する戦争を起こせば自衛権により反撃し、「国連軍」と一体の韓国も叩くという、良し悪しは別にして軍事的な意味では当たり前の警告をしたにすぎない。

 もちろんそれが自国の破滅覚悟のものになることを分からないほど、金正恩委員長はバカではないだろう。慶南大学の林乙出教授が的確に指摘する通り、金正恩委員長の演説が人民生活の向上にも重点を置いていることは大事である。

 (BBC)https://www.bbc.com/japanese/67990037

 (東京新聞)https://www.tokyo-np.co.jp/article/303179

 要するに金正恩委員長が宣言したことは、《もう韓国のことは民族同胞ではなく敵と割り切ったから、それぞれ主権独立国家として我が道を行こうではないか。こちらも国家建設が大事で統一に関わっている余裕などないし、ましてや武力統一など企てる気などない。ただし、「国連軍」が戦争を仕掛けるなら、韓国に厳しく反撃する覚悟だから、余計なことをするな》という話である。好戦的提言どころか、極めてシビアな現実主義路線の提言である。

 ただし、だからと言って戦争の心配をする必要がないと断言できるわけではない。特に注意する必要があるのは、いわゆる「北方限界線」である。金正恩委員長は今回の演説で北方限界線をはっきり否定し、「南の国境線」を侵犯する戦争挑発と見なすと宣言している。要するにDPRKが海洋法条約に従って主張する沿海12海里の領海を独立主権国家として確定し、北方限界線自体を領海侵犯の戦争挑発行為と見なすというわけである。

 以前にも論じた通り、本来は韓国軍側の北進の限界として「国連軍」最高司令官が一方的に宣布した北方限界線は合法的な「国境」ではないし、ましてや海洋法条約には全く違反したラインである。だからDPRK側が主張する海上国境線は全く正統なのだが、現に北方限界線周辺の島嶼を実効支配する韓国がこれを認めるはずもない。ゆえに金正恩委員長が「南の国境線」確定を宣言したことにより、北方限界線において不測の事態が発生する危険性は一段と高まったと言える。

 (関連投稿)https://m.facebook.com/photo.php?fbid=4471815758106&id=1371253393&set=a.4446690209983

 何にせよ、朝鮮戦争停戦70周年(2023年)が明けて早々の南北分断固定化宣言は非常に悲しいことである。しかし、朝鮮「国連軍」体制の一員であり朝鮮半島平和プロセスに難癖ばかりつけてきた日本のことを措いて、金正恩委員長の決断をとやかく言う資格は我々にはないように思える。朝鮮戦争に終戦をもたらす最大のチャンスをみすみす無駄にした結果が今日の事態だと、我々は知らねばならないのである。

【追記】

 ハンギョレの記事は、例えば上にリンクしたBBCの論調などと比べてかなり冷静で、基本的に同意できる。

 (ハンギョレ)https://japan.hani.co.kr/arti/politics/48924.html