気持ちが落ち込んだままだ。
間違っても、安倍元首相が亡くなったからじゃない。
当然ながら、その逆。
日ごろぼくは“こんな社会・時代を作ってしまった世代の人数分の一ぐらいの責任をとらなきゃ”などとの口はばったい想いを吐露してきている。
が、ここ数日の報道を耳にしていて、この社会はとっくの昔にPoint of No return(回帰不能点)を超えてしまっているのではないのかとの想いを打ち消すことができない。
すでに手遅れじゃないか、と。
私人としての安倍晋三氏が“いい人”なのか“愛妻家”なのか、そんなことは知ったこっちゃないし関心もない。
“いい人”や“愛妻家”の人ならこの世の中にはごまんといる。
問題なのは高林敏之氏が指摘しているように、
行政解釈を最高法規たる憲法の上位に置いた「解釈改憲」、司法人事の支配、それによる自己や取り巻きの保身・優遇(森友・加計学園問題や「桜を観る会」問題での不起訴、側近ジャーナリストのレイプ事件を握りつぶした警察官僚の警察庁長官への出世)、公文書の隠蔽・改竄の常態化などのように一代で日本の法治主義をボロボロに破壊し、日本社会の分断と差別を深刻なまでに悪化させた公人としての安倍元首相なのだ。
当然んがら、公人である政治家はその業績でもってのみ評価されなければならない。
“いい人だ”なのかそうでないのかなどという評価とは、まったく次元が異なる。
当初は統一教会の名さえ表に出さなかった(出せなかった?)マスコミ。
隠しおせなくなったからなのか、その名を口にし始めたものの統一教会と安倍元首相さらには自民党との関係について踏み込むことは極力避けているようにみえる。
というか、両者の間には取り立るほどの関係はなく、安倍元首相は一方的な被害者であるかのようにさえ報じている。
なぜマスコミはそこまでするのだろうか。
すでに、この国は司法も立法も行政も、そして第四の権力といわれるマスコミもズブズブの関係が出来上がっているのではないか。
そして、そのマスコミによる洗脳はすでにこの列島に広く根深く行きわたっている、と。
残っているのは、多数決という名の形骸化された民主主義のみ。
と、嘆いたところでなにも生まれてきやしない。
ならば、身の回りのことをしこしことこなしていくしかないか・・・。
雲外蒼天という言葉に淡い期待を寄せて。
(付録)です。
「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」さんから送られてきた「台湾有事 作られた危機」という動画です。
3時間近いものですが、時間の余裕のある時にどうぞ。