いま、渡辺晃宏著・日本の歴史04卷「平城京と木簡の世紀」(講談社)を読んでいる。

01卷~03巻の紹介をまだ済ませていないのだが、ちょいと面白い件(くだり)を見つけてしまった。

それは、「藤原広嗣の乱」に言及した箇所。

「藤原広嗣の乱」とは奈良時代に太宰府少弐藤原広嗣が起こした乱のことで、聖武天皇の御代。

西暦は740年。

どのようなあ「乱」であったのか、本書から引用してみよう。

 


 

聖武天皇のもとに太宰府少弐藤原広嗣の八月二十九ニ日付の上表文が届いた。災害が続くのは政治が悪いからで、それは僧正玄昉と右衛士督下道真備の重用が原因で、二人の排斥を要求するというものであった。聖武天皇はただちにこれを反(国家転覆の実行)と認め、大野東人を大将軍、紀飯麻呂を副将軍に任じ、また兵士一万七千を東海・山陰・山陽・南海各道の諸国から徴発する手続きをとった。

 

というもの。

で、このとき律令政府はたいへん面白い作戦に出たという。

 

『続日本紀」』によると、九月二十九日に聖武の勅符(ちょくふ)数千条を諸国に散擲(さんてき)したとある。(中略)聖武はいう「広嗣は生来凶悪で長じてさらにずる賢さを増した。父の故式部卿宇合は何とか広嗣を除き捨てようとしたが、私がとりなした。最近親族の間で問題を起こすので、太宰府に左遷して悔い改めるのを待ったのに、今またこうして兵を起こし人民を苦しめている。神罰が下るのも時間の問題であろう」。偏狭凶暴な広嗣、寛大慈悲あふれる聖武という対比を全前に打ち出した見事な情報操作と言うべきであろう。

 

ぼくには聖武の流した情報が真実を伝えていたのかどうかなんてことはわからない。

が、聖武がネガティブな情報を流したことは事実のようだし、広嗣の乱を支持する一定程度の勢力が九州にいたことも確かなようだ。

 

ぼくのカミさんの故郷、豊前市・大富神社の「神幸祭」 。

「藤原広嗣の乱」に際し、その鎮圧に功績のあった上毛郡の擬大領、紀宇麻呂の凱旋の様子を模したものと言われている。

 

私はこの乱の経過と結末に、聖武の個性の一端を見たい。広嗣の上表は聖武個人にあてた政策の批判であったから、これに敏速というより過敏に反応した政府の対応には、聖武の性格の発露を読み取れるのではないだろうか。『雑集』の筆跡や、「天下の富を保つものは朕なり(世の中の富は私の物である)」(大仏造立詔)という強力な支配者意識に通じるものが、ここにはあると思う。

 

どこかで聞いたような話ではないか。

自らを批判する者に対しては、その人格を貶める誹謗中傷を流す。

批判そのものに対しては、「知らぬ」「存ぜぬ」「調べる必要はない」との紋切型の答弁を繰り返して恥じない傲慢さ。

聖武を安倍首相(もしくは菅官房長官)に、広嗣を前文科相事務次官前川氏にそのまま置き換えられるではないか。

この本が出版されたのは、2001年2月。

第一次安倍政権の発足は2006年9月だから、この本の著者の念頭に昨今の政治状況があったとは考えられない。

が、いつの世も支配者意識が旺盛な権力者とは、常に類似した振る舞をするものらしい。

 

マスコミが権力の暴走を監視するという役割を放棄すれば、今の世だって聖武の時代となんら変わるところはない。

では、この国のマスコミはその役割を果たしているのだろうか。

自民大敗、都民ファースト大勝を報じること自体は別におかしくはない。

それは事実なのだから。

が、都民ファーストを必要以上に持ち上げてはこなかったか。

あたかも、悪の自民党・東京都連に対抗する白馬の騎士の登場であるがごとく。

これまで、都民ファーストの実態をどこまで報じてきたのだろうか。

 

 

都民ファーストの代表になる野田数氏という御仁の経歴をチョイとのぞいてみた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%95%B0

保守党から兵庫7区で衆院選出馬も落選、小池百合子議員秘書に。

自民党入り東村山市議会議員、東京都議会議員。

離党後、東京維新の会結成、都議会尖閣調査団を結成。

日本維新の会から衆院選、都議選も落選。

アントニオ猪木議員の政策秘書。

しかも、アントニオ猪木から公金横領の疑いで告訴までされているではないか。

さらには、新しい教科書をつくる会から別れた日本教育再生機構の常務理事も務めている。

日本教育再生機構の複数の顧問は日本会議の顧問でもあり、安倍首相と松井大阪府知事を結びつける役割をはたしてきた。

ぼくでもわかるようなこの程度の情報を、マスコミはどれほど報じてきたのだろうか。

 

小池チルドレンと呼ばれる都議会議員には、まともな政治信条を持っている連中などがいるとは思えない。

小池都知事が右を向けといえば、躊躇することなく右を向く烏合の衆ではないのか。

これはあくまでもぼくの予測だが、安倍政権は改憲のパートナーとして都民ファーストとの連携を今後は深めていくだろう。

そうなった場合、都民ファーストのメッキが剥がれるのと、自民党案での改憲が国会を通過するのとでは、どちらが先になるのだろうか。

これは、ぼくたち一人ひとりが問いかけられている課題でもある。

 

 

広嗣は、日本で最初の怨霊になったといわれている。

そして、当時の権力者たちを苦しめたとも。

果たして、ぼく(たち)は安倍政権を苦しめる怨霊になり得るのだろうか。

少なくとも、怨霊の足を引っ張ることだけは避けなきゃ。