その季節でしか食せないものを肴に酒を飲ませていただくことほど贅沢なことはない。
今年も、野草の「土筆(つくし)」と「野蒜(のびる)」を採取してきた。
「土筆」はカミさんが卵とじと佃煮に、そして「野蒜」はぼくが塩昆布漬けにした。
そして、今年も美味しく焼酎を飲みました。
と、いう与太話しをしようとしているのじゃない。
森巣博著「無境界家族」(集英社)の紹介を続けることが今日の本題。
さっそく始めよう。
去年撮影したもの。
ここにはさっと湯通しをして「ぬた」にして食べたものが写っている。
横に写っているのは、水葺(ふ)き。これも採取してきたもの。
(前略)国家などという概念は、ここ二百年のものなのです。それ以前にはなかった。概念がなかったのだから、国家などという政治的実在が存在するはずもなかったのである。
そもそも十八世紀末までに「国家」などという言葉は、世界中のどこを探しても出てこない。中国古典に登場する「国家」は、日本語で言えば「ミカド」の意味だったし、また十六世紀のオランダで萌芽したstateは、フランス革命以降のstate(国家)に該当しない。
なるほど、なるほど、この日本でも江戸時代までは「お国」という概念は「藩」と同義語だった。
「日本」というかたちで「国家」が意識されだしたのは幕末~明治以降。
欧米列強による清国(中国)への侵略を目の当たりにしたからだ。
森巣氏は言葉を続ける。
先に「安っぽいナショナリズム」という言葉をわたしは使用した。これは誤解を受ける可能性が高い。なぜなら、わたしは、
「すべてのナショナリズムは、安っぽい」
と考えている人間だからだ。つまり、高尚なナショナリズムも、健全なナショナリズムも、正しいナショナリズムも存在し得ない、ただ安っぽいナショナリズムがあるだけだ、という立場をとる人間だ。(中略)
「弱者のナショナリズム」にも国民国家への欲望がひそんでおり(東京大学・上野千鶴子の説)、「被抑圧民(族)のナショナリズム」も、帝国主義的ナショナリズムへの展望を常に胎生している(コーネル大学・酒井直樹の説)
ましてや経済大国化した日本で。「健全なナショナリズム」の発揚をお題目のように唱える「無知識人」たちの跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を見るにつけ、わたしはただただ呆れ返るのだ。
なるほど、なるほど、ここでも激しく同意。
氏の舌鋒まだまだ続く。
土筆の佃煮と野蒜の塩昆布付け。。
これも今年の写真じゃない。横の椎茸はお店から買ってきたもの。
社会の「伝統」だとか「習慣」「規範」だとかは、可能ならば無視したほうがよろしい、とわたしは考えている。だいたい「伝統」や「習慣」「規範」のほとんどは、つい最近に、ある日突然、捏造されたものなのだ。
そして、氏はその例として、
現在祝われている形式でのクリスマスとは、英国のジョージ三世によって十八世紀に突然捏造されたものだ。それまでのクリスマスには、クリスマス・ツリーも、プレゼント交換も、七面鳥ローストも、クリスマス・キャロルもなかった。サンタクロースに至っては、なんと1930年代にコカコーラのコマーシャルによって「発見」されたのであった。
をあげている。
ぼくは大阪生まれの大阪育ちだが、恵方巻などという風習を見たことも聞いたこともない。
大阪のごく限られた地域で行われた風習を、コンビニやスーパーマーケットが大々的に広めたものでしかない。
バレンタインしかり、ホワイトデーしかり。
そのような例をあげれば枚挙にいとまがない。
「神前の結婚式」だって「伝統」なんかじゃない、明治以降に教会における結婚式を真似ただけ。
さらに著者は、東京経済大学の牧原憲夫の『万歳の誕生』や『客分と国民の間』を援用・借用して語る。
「天皇陛下万歳」
アジア・太平洋戦争では、洋々たる未来を有し得た日本の若者たちが、そう叫びながら無数に死んでいった。
さて、この美しき日本の「伝統」である「万歳」とは、いったい、いつ頃、どのようにして誕生したものなのか。
『古事記』にも『日本書紀』にも出てこない。光源氏が美女をコマして「万歳」と叫んだ話も聞かない。関ケ原で東軍兵士たち西軍兵士たちが「万歳」吶喊(とっかん)を試みたという記録もない。弥次さんも言わなかったし、喜多さんも仰らなかった。近松文学にも歌舞伎にも登場してこない。
すると、この両手を挙げて「万歳」と叫ぶ日本の「伝統」は、誰かがつい最近に恣意的にこしらえてものなのだ。
誰が?いつ?なんの目的で?
土筆の卵とじ。
この写真は、グーグル画像から借りてきもの。
長くなるが、今ここで止めるとどうもふんぎりが悪い。
もう少しお付き合いを願いたい。
だいたい江戸の住民にとって「天皇」とは馴染みのないものだった。それで東京遷都以降、明治新政権は東京市民を教化する目的で、
「天皇というのは、お稲荷さんより偉いんだ」
と、喧伝して回ったのだが、これがあまり効果がない。
(中略)
「国民」の創造に腐心していた明治政府は、「祝声」の制定を試みる。これを統括したのが文部大臣・森有礼だった。
西洋には「祝声」として、
「ヒップ、ヒップ、ホレーッ(筆者注、Hip Hip Hooray)」
というのがある。しかし、
「天皇陛下ホレーッ」
というのは、どうもいただけない。
森は、「奉賀(ほうが)」を提案したのだが、これも連呼すると、
「ホーガァ、ホーガ―」
となってしまうので、没。
紆余曲折の末、帝国大学教授・外山正一の「バンザイ」案が、なんと東京大学教授会で承認されたのであった!!
(中略)
蛇足だろうが書き加えると、「万歳」の起源(オリジン)は、もちろん中国で、官吏たちが皇帝に対して、
「バンゼイ、バンゼイ、バンバンゼイ」
と九跪三拝(?原文ママ)したところからきている。
(中略)
「天皇の前で大声を発するなど不敬きはまりない」
とする宮内省の強い反対を押し切り、森有礼は「万歳」を「祝声」として日本に定着させた。
(中略)
「祝声」を政府が勝手に制定したところで、民衆が突然「万歳」などと叫びだすはずもない。そこで帝国大学書記官・永井久一郎たちが、帝大生(!!)を集めて特訓を繰り返した。
1889年(明治22年)2月11日、『大日本帝国憲法』発布祝賀祭で天皇の馬車が皇居正門を出ると、整然と列をなした帝国大学生五千余名が、
「天皇陛下万歳、万歳、万々歳」
と叫んだのであった。
つまり「万歳」が生まれたのは、明治22年2月11日。
な~んだ、明治22年って、ぼくのオヤジが生まれた2年前じゃないか。