まずは、昨日のブログの訂正から。
掲載した写真は、シャクヤクではなく牡丹(ボタン)。
カミさんから間違いを指摘され、バカにされた。
お詫びして訂正します。

牡丹です


散歩をしていて、ふとしたことを思いついた。
この8月が来れば、ブログを開設して3年目を迎えることになる。
そのことに関してなので、8月に書けばよいのだが恐らくその頃には忘れている。
昔のことはけっこうよく覚えているのだが、直近のことはすぐに忘れる。
おまけに、一度忘れたことを思い出すことはまずない。
情けないものだ。

で、その思いついたこと。
ブログを始めたのは、リタイアした年寄りがヒマな時間を持て余して、思いついたからに過ぎない。
深い意味はなく、何の目的も思惑も持っていなかった。
始めた当初はそう頻繁に更新もしていなかったし、そのテーマも身の回りの他愛もないものが多かった。
また、操作が未熟で、画像を消去してしまう失敗も繰り返した。
家族ネタは取り扱わない、という原則は当初から持っていた。

そうこうしている内に、ブログを更新すること自体が楽しくなってきた。
いろんなことを調べたり、自分で撮った写真を貼り付ける作業が単純に楽しかった。
趣味なようなものになっていった、といえようか。
また、自分の中に眠っていた表出欲の大きさにも、改めて驚かされた。
こんなにも、僕は語りたいことを持っていたのか、と。
だが、使命感や義務感といったものとはまるで無縁。
だから、ことさら自ブログのアクセス数を増やしたいなどと考えたことは一度もない。
その姿勢は今も変わらない(つもり)。
もちろん、結果としてアクセス数が増えることは、不愉快なことではない。


そんなお気楽な僕のブログに社会的なテーマが増えてきたのは、やはり東北の大震災がきっかけとなっている。
かつて、僕は原発の消極的容認派だった。
原発の技術はまだまだ未熟だが、将来のエネルギー源として日本には欠かせないものだと考えていた。
科学技術は未熟な技術を必ず克服し得るものだ、とも。
その考えが、完全に覆されたのが福島の原発事故。

僕は、およぶ限りの原発に関する資料にあたった。
そして、少なくとも日本の原発は枯渇する石油資源の代替となるべき未来のエネルギー源などではないという、僕なりの結論に至った。
むしろ、政治的な思惑や政・財・官・学のいわゆる原子力村の利権のからんだ産物。
そのことの説明を、今ここで改めてするつもりはない。
が、「原子力発電」の端午でブログ内検索をしていただければその記事はでてくるし、「原発」で検索しても、関連した記事は嫌というほどでてくる。

また、原発に関することを調べ始めたことは、僕に再び社会的な問題に目を向けさせる契機にもなった。
そして、「?」と感じたことを調べているうちに、実に多くのことを学んだ。
もちろん僕は、数多(あまた)ある社会的な問題一つひとつの専門家ではない。
が、まず知るということがいかに大切なことか。
それに、僕には66年間生きてきた体験から導き出される知恵だってある。
もちろん、僕自身が判断できないことは、僕なりの見解をだせるようになるまでは安易に語らないできた。
つまり、保留。
ましてや、根拠のない風聞や怪しげな陰謀論には安易に与しない(ように心掛けてきた)。

いろんなことに疑問を持ち、調べているうちに、ある思いが浮かびそれは徐々に確信に変わってきた。
それは、「この日本はもう手遅れではないのか、あと戻りができないところまで来てしまったのではないか」、という思い。
もちろん、他人事として語っているのではない。
こんな日本を作ってきた世代の一員でもある僕にも、その世代の人数分の一の責任はある(と、思っている)。
そのことへの自責の念も、ある。


安倍晋三やその取り巻きの連中のが先頭に立って、今の世の中を動かしているのではない。
戦後70年かけて彼を許容し受け入れる時代が、徐々に出来上がってしまった、ということ。
つまり、彼は結果であって原因ではない。
でなければ、彼の支持率が未だに50%を超えていることへの説明がつかない。
ドイツのヒットラーだって、ワイマール憲法下のドイツで、民主的な選挙で選ばれている。
だとすれば、今の時代を支えている子羊のように従順な世代にも、その世代の人数分の一の責任はあるはず。

僕は「もう手遅れではないか」と書いた。
では、どうすればよいか。
良くわからないとしか、答えようがない。
ただ僕は、僕自身がおかしいと感じたり、疑問に感じたことをこれからも書き続けるつもりでいる。
そう、この時代への「遺言状」を書いているつもりで。