【前編】
皆さま、こんにちは。
はんけしくんインストラクター うえむらゆみこです。
毎年この記事に続きを書いています。
今年も書きたいと思います。
「昨年・一昨年書いた記事」から「続きの記事」まで書きますので長くなりそうです。
お時間のある方はぜひおつきあいください。
2016年3月 記
『私が「けしごむ・はんこ・てん」への初出展を決心したときのこと』
いつもブログを読んでくれている皆様、ありがとうございます。
今日は私が「けしごむ・はんこ・てん」への出展を一大決心した時のことをお話したいと思います。
消しゴムはんこは随分前から彫ってきたけど、本格的に彫るようになったのは2012年頃からです。
当時はパソコンで「消しゴムはんこ」を検索していろんな作家さんのブログを読むのが日課でした。
育児の合間にブログを読んだりはんこを彫ったり…それがこの上ない私の楽しみ(今もそうだけど)でした。
当時パソコンの向こう側にいる消しゴムはんこ作家さんやインストラクターさんたちはスターのようにキラキラ輝いてみえて手の届かない芸能人のような存在でした。
私は愛知県の安城市という緑に囲まれたのどかな田舎町に住む専業主婦でそのスターのような人たちに会いたいとかそういう気持ちさえなくてそれは夢のまた夢の話でした。
消しゴムはんこ界には「スタンプカーニバル」とか「けしごむ・はんこ・てん」とかすごいイベントがたくさんあることを知ったけど遠く離れた大都会東京で開催されるものだから、自分にはまったく関係のないものだと思っていました。
通信講座で消しゴムはんこの資格が取れることを知って、講師になるためではなく何となくやってみようというのと基礎講座の受講料が安かったので申し込みました。
基礎講座の終了後、インストラクターの資格も東京へ行かなくても取得できることを知り勢いで申し込みました。
この時は講師をやるつもりなんてまったくなくて、育児の合間に消しゴムはんこを楽しむそんな生活でした。
取得してほどなくすると事務局から「けしごむ・はんこ・てん」の案内とパーティーのお知らせがきました。
もちろん東京です。
しかもまだ一度も行ったことのないスカイツリーのあるソラマチ。
TVで見たことある!
へぇ~という感じでパソコンを見てたらたまたま近くにいた旦那様が「行ってきたら?」と言ったのです。
当時三人の子育てにいっぱいいっぱいだったのでリフレッシュのつもりで言ったのだと思います。
その時、三女は2才でした。
そして子供が産まれて以来三人を旦那様に預けて初めて丸一日外出したのが「けしごむ・はんこ・てん」でした。
専業主婦でお金もないから往復高速バス(朝出発、帰りは夜行)というスケジュールでした。
私は滞在時間をすべて、はんこてんで使いました。
夜にはパーティーにも参加しました。
隅田川のほとりにある、月9ドラマの中で見たようなオサレな都会のレストランがパーティー会場でした。
窓の外に見えるこれがあの隅田川か…。
一緒に出ようねって言ったのにいつも私が待たされた歌のあの川なのね、実物なのね。
(今ならわかる神田川と間違えてた、東京の大きな川といえば=神田川だった)
そして、初めてパソコンの向こう側にいる有名なインストラクターさんたちに直接お会いしました。
その時の興奮は文章では表せないほどです。
インストラクターさんたちはやっぱりキラキラ輝いていてスターのようにオーラがすごかったです。
私は来場者としてはんこてんに遊びに行きパーティーがあったからインストラクターとしてではなく消しゴムはんこファンとして参加しました。
それなのに…。
パーティーで私の作品の画像をみてくれた先輩たちが「次のはんこてんに出展したら?」って言ったのです。
めちゃめちゃビックリしました。
出展とか考えたこともないし!
いやいやいや…そもそも。
私は東京に住んでないし…。
(郵送で納品するとかこの時点ではわからなかった)
インストラクターの活動もほとんどしてないし。
作品とかちゃんと作ったことないし。
そのパーティー会場では。
皆さんはんこてんの話やスタカニ出展する?とか普通に会話をしている姿が信じられなかったです。
「スタカニ」とか口に出した言葉で初めて聞いたし!
皆さん標準語だし!
そして先輩たちからいろんなことを教えてもらいました。
その後、季節は夏になり。
はんこてんの出展案内がきました。
私はすっかり調子にのって図々しくもはんこてんに出展してみよう!とか決意してしまったのです。
さらにはその時初めての企画だった大サイズにまで挑戦してみよう!とか思ってしまったのです。
そして出展申し込みをして、大サイズの審査の結果がきました。
今だから言うけど最初の大サイズ図案は審査に落ちました。
しかしながらもう一度チャンスをいただけることになりました。
未熟な私は事務局さんよりいくつかのアドバイスをいただき、図案を描き直しました。
ほどなく描き直した二回目の図案が審査に通ったと連絡がきて、大きな大きな50㎝のはんけしくんが本当に自宅に届きました。
無名の新人作家にチャンスをくれたヒノデワシさんと事務局さんとプロジェクトチームの皆さんって本当にすごいと思う。
でもそこから私の作家人生は大きく変わることになります。
こんなにも大きなチャンスをもらったのだから、はんこてんの会議に出席してみたい!と思いました。
家族にお願いをして日帰りで会議に参加させてもらうようになりました。
そこでビックリしたのははんこてんはインストラクターさんたちが作り上げていくものだということを知りました。
参加しなければわからなかったことがいっぱいありました。
当時、会議の中ではレイアウトからテーブルに敷く布の色、飾り付けまですべて話し合いで決めていました。
大サイズに関しては初めての展示ということで、その展示方法(壁にかけるのか、原版は重いので平置きにするのか)など細かいことを話し合いました。
私は自分の知らないところでこんな風に先輩たちがはんこてんを作り上げてきたものだと知りました。
それと同時に自分がその話し合いに加われるということに誇りと嬉しさを感じました。
その頃私のまわりにはんこの事を教えてもらえる人や一緒に彫ったりする人もまだいなかったので会議の中で先輩たちからはんこの世界のことなど本当にたくさんのことを学びました。
そして会議の中では私のような新人の意見もたくさん採用していただきました。
そして迎えた「第4回けしごむ・はんこ・てん」
私にとって初出展でした。
大サイズを担当したことは予想をはるかに超える反響があり無名のはずの私がはんこてん会場では 多くの方に声をかけてもらいました。
信じられなくて夢のようでした。
会場ではワークショップの講師も担当させていただきました。
私の住む田舎町から、遠く離れた大都会東京のスカイツリータウンソラマチ「けしごむ・はんこ・てん」会場で…。
先生って呼ばれても自分のことだって気付かない様な私が、ワークショップの講師を担当させていただきました。
あの時…。
はんけしくんの通信講座に申し込んでいなかったら。
あの時…。
パーティーに参加していなかったら。
あの時…。
隣の席の先輩が声をかけてくれなかったら。
あの時…。
はんこてんの出展を決意していなかったら。
あの時…。
大サイズの審査に応募していなかったら。
きっと今の私はなかったと思うのです。
まさか趣味の消しゴムはんこがきっかけで田舎者の私が東京に行く日がやって来るなんて少しも思ってはいなかった。
人生って何が起こるかわからない。
しかも、この歳で。
あの時の奇跡の連続を…。
奇跡の連続を私はずっとずっと忘れずにいたいです。
隅田川で満開の桜とスカイツリーを見上げながら。
一人で食べた桜餅を…ずっとずっと忘れずにいたいです。
そしてその後もビックリすることがたくさん続きました。
翌年の第5回けしごむ・はんこ・てんにも出展しました。
2回目の大サイズ作品を担当させていただきました。
2回目のはんこてん出展は1回目の出展の時に比べものにならないほどの反響でした。
2年連続で大サイズを担当したことはいろいろな形で大きく取り上げていただきました。
そして今年は…。
けしごむ・はんこ・てんに出展するのは3回目となります!
大サイズ作品を制作させてもらうのも3回目です。
そして今年も。
春になったら。
桜が咲く季節になったら。
私は大都会東京のスカイツリーに行きます!
はんこてんという夢のような舞台に自分の作品が飾ってあるという夢のような光景を…。
今年もこの目にしっかりと焼きつけてきます。
今年も…。
隅田川で桜とスカイツリーを見上げながら桜餅を食べます!
第6回けしごむ・はんこ・てんに行ってきます!
〈追記〉
2017年3月23日
ここから追加の記事を書きます。
第6回のけしごむ・はんこ・てんが大盛況で終わりを迎え、そのわずか5か月後には第7回の出展を決めて作品制作に取り掛かりました。
「はんこてんは1年がかりだ」と言っていた先輩がいたけれどまさにそうだと思います。
審査のあるような作品は夏の終わりには翌年のラフを提出しなければならずそのためにははんこてんの終了と同時には次回作の構想を練る必要があるからです。
私は3回の連続出展を終えて大きな壁にぶち当たっておりました。
大サイズを3回担当させていただいて3作ともすべてスクラップブッキングシリーズとして作品を作りました。
「同じことばかりやっていたのでは面白くない」という思いもあります。
そこで、スクラップブッキングシリーズを封印してまったく新しい作風にチャレンジしよう!と決めていました。
昨年の夏にA4サイズの作品のラフ図案を描き始めました。
私はとても苦しんでおりました。
新しい作風…それは大きな大きな壁でした。
ちょうど行き詰っていたその頃にすばらしい機会がめぐってきました。
ずっと夢だった初の個展を東京で開催することになり、大サイズのスクラップブッキングシリーズ3年分を並べて展示することになったのです。
なかなか大サイズの3作品をすべて一度に見ていただける機会がないものですから本当に光栄な出来事でした。
個展用に、金・銀・銅、で捺した作品を展示しました。
この3作品が個展で並んでいる光景を眺めながら必死に制作していた時のことを思い出しこみあげてくるものがありました。
そして、すばらしい機会はこれだけではありませんでした。
2015年に制作した大作品「日本の四季」が第5回版画公募展FIE PRINT AWARDに入選したという連絡がきたのです。
1年以上前に制作した作品です。
この作品は、はんこてん、個展、入選作品展、と数々の場所で展示していただきました。
現在はアトリエに展示中でございます。
はんこてんがなければこの大作品を彫っていなかったし、はんこてんのおかげで本当にすばらしい経験を何回も味合わせていただいております。
この「日本の四季」は入選しただけではなくオーディエンス賞まで受賞することができました。
本当に嬉しい出来事でした。
そして、こういう良い事が続くと気分も乗ってきて図案も描けるものです。
私は今回「ナミダ」という作品を描きました。
嬉しいこと、悲しいこと、せつないこと、思わず溢れ出てしまう「ナミダ」を表現しました。
そして、今回一番こだわったのが「捺し方」です。
私は少し前まではんこを彫りあげるとそれで満足してしまっておりました。
大サイズは特に何百時間もかけて彫りあげるので完成したと同時に満足してしまうのです。
しかし、はんこは本来捺すためのものなんだということに気づきました。
「ただ捺すだけではなくて面白く捺そう!」
今回はインクを付けて捺すということではなく。
捺したところを白くする「レジスト」テクニックを使いました。
本来ならインクを付けたところに色がつきますが、今回はその逆でインクを付けたところに色を付けないというテクニックをA4サイズで挑戦したのです!
そのためにはベタを少なくする必要がありました
ハンカーさんならわかると思いますがベタを少なくするということは彫るところがたくさんできてしまうということなのです。
インクが付いていない部分のバックグランドに色を付けるためにメイン図案はベタを少なく線画を多く彫ったのです。
苦しみながら試行錯誤を繰り返しながら作り上げたこの「ナミダ」生作品をぜひ多くの方に見ていただきたいです。
そしてわたしは…。
ついに明日「第7回けしごむ・はんこ・てん」に行きます。
この日をどれだけ待ちわびていたことか…。
はんこてんという夢のような舞台に自分の作品が飾ってあるという夢のような光景を…。
今年もこの目にしっかりと焼きつけてきます。
私の大きな大きな夢と一緒に。
わたしは明日、第7回けしごむ・はんこ・てんに行きます!
第4回・第5回・第6回けしごむ・はんこ・てん展示作品(50㎝×50㎝)