当時を振り返り書いていきます
PICUでは、3週間すごしました。
鎮静剤を辞め、体を覚醒させるところから
始まりました
呼びかけると私とは目をあわせてくれなかったけど
がんばって目を開いてくれていました
それが嬉しくてうれしかったのを
思い出します。
目を泣き腫らし
声にも反応しないかもしれない
そんな気持ちが救われた感じでした。
それから人工呼吸器もはずれるようになり
こども病棟に移れるように。
回復にむかってる
そんな気持ちが強かったように感じます
しかし、現実は
寝返り、お座りができなくなっている
また新たな問題も発生
人工呼吸器の期間がながかったせいも
あってか
ゼーゼーヒューヒュー音が
鳴り止まなくなりました
もともと軟化症かなとおもうことはあり
🍼が上手く飲まず、
飲む時だけヒューヒュー音はしており
継続的ではなかったため
生活には支障は無かったのです
しかし、ずっと音がなりびびいてるのです。
酸素数値は下がることはなく
経過観察となりました
それだけが救いではありました。
詳しく検査をするまでは
吸入をしたりしましたが
音は改善されず
病棟中に響き渡る為
どこにいるのか
一発でわかってしまう息子ちゃん
てんかん発作もあったため、
気が引けない日々がつづいたことを
覚えています
まとまらない文章になってしまいましたが
命があること
生きているということ
それだけで救われたのも事実です