次男の状態が急変してから
毎日のようにPICUに通い続けました不安ダッシュ

病棟内に入るのにも3日おきにPCR検査を
受けなくてはならず
そこにも葛藤する日々がありました

どうして我が子にあうのに
検査をしなくては会えないのか…
死の間際だったとしても
結果が出なれば入れない。
そんなルールはおかしいアセアセ
そんな葛藤気づきムカムカ

息子は色んな機械に囲まれていました。
脳を働かせてしまうと
脳が更に腫れ危険な状況になる為、
脳を刺激しないよう
鎮静剤をかけられた状態で過ごしていましたスター

いくら呼び掛けても
反応はせず、寝たままギザギザ

なくものか
笑っていよう
そう思いながらも面会していた時間は
15分しかできなかったけど
泣いていたと思うアセアセ

脳の腫れが引いてきたころ
鎮静剤を少しずつ抜くことが
始まりました飛び出すハート

声をかけると目をうっすらとあけましたが
反応は薄く
ママとは認識しておらず
目がどこをみているのかは分からない状態でした。

声をかけてもママのことは見てくれませんでした
以前のように笑ってもくれませんでした
人工呼吸器ははいってるままだったので
声も分かりませんでしたアセアセ

ほんとにこの子は
笑うこともわすれてしまったのか?

そんな思いがグルグルしていたのを
覚えています泣き笑いダッシュ

同時に手術をしなければ元気だったのか?

とも考えなくはなかったです。

張り裂ける思いで
1人で毎日会いに行き
帰りに泣いて泣いて
夜も眠れずな日々悲しい

そんな毎日を繰り返していた日々でしたギザギザ