【お願い】
今回の投稿には
「自◯」を想像させる内容となって
おりますのでご気分悪くされる可能性も
ございますので不安に思われる方がいらっしゃったら無理にお読みにならないでスルーくださいね
続きです
夫と私は
警察署の帰りに役所へ諸々の手続きへ
その前にやはり
「腹が減っては戦はできぬ」ばりに
当時 よく通っていた中華そば屋へ立寄り
ここでも やはり
無言でラーメンを啜り🍜
その後は
33年前といえば
まだ地元の福祉センター(住民センター)を
借りての葬儀が主流
誰あろうか
この私が 全てを仕切る形で
整えていった
当時 私の年齢は42歳
29歳で地域の自治会の班長をした年に
班員さん家族3軒の葬儀と
実父の葬儀が立て続けにあった
それは
またまだ人間として未熟な私に
喜ばしくない経験値を積ませ
義弟の葬儀の段取りの良かったことよ
こんな経験値はほんと
重ねたくないものであるが
しかし
喪主である義妹の後ろに控えながら
段取りをして行く中で
今でも鮮明に記憶に残る
義妹の言葉がある
夏休み後半になり
海水浴場がある我が地域の
普段は静かな住宅街には
浮き輪を腰に回し
楽しそうにおしゃべりしながら
友人たちとゾロゾロ歩く
若者の間を抜けて買い出しをして帰る道すがら
その姿を車の中から遠目に見ていた義妹は
「いいよなぁ〜あの子らは海水浴 私は
これから葬式やでぇ」と一瞬耳を疑った私は
義妹の顔をマジマジと見たことも
あの時の義妹の声も思い出せる
……………③へ続く