4.E・H・カーの国際政治学 ── 政治権力の3要素と「ユートピアの無力」
近代国際政治学の古典であるE・H・カーの『危機の二十年』は、政治を「ユートピアニズム(理想主義)」と「リアリズム(現実主義)」の終わりなき相克のプロセスとして捉えた。また、国家の権力を支える基盤として「軍事力」「経済力」「意見を支配する力」の3つを挙げ、これらが三位一体となって初めて真の覇権が成立すると説いた。
三国志におけるパワーバランスと最終的な帰結は、このカーの権力論によって極めて論理的に説明が可能である。
4-1. 三国パワーバランスの完全なる構造査定
カーは、物理的な力(ハードパワー)と精神的な力(ソフトパワー)を統合して国家権力を測るべきだと論じた。どれか一つでも欠ければ、その勢力は長期的な覇権を維持することはできない。
そこで、| 軍事力(ハード) | 経済力(ハード) | 意見を支配する力(ソフト) | カー的観点による評価 |を各国で比較してみた。
| 魏 | 軍事力:圧倒的(中原の人口と大軍勢) | 経済力:強固(屯田制による穀物・物流支配) | 意見を支配する力:強力(後漢の天子擁立による正当性) |評価: 三位一体。 物理的力とナラティブの双方を掌握した覇権マシーン。 |
| 呉 | 軍事力:強固(長江の天険と無敵の水軍) | 経済力:豊か(江南の農業生産と交易利潤) |意見を支配する力:脆弱(全土に響く大義名分の不在) | 評価:思想なきローカル・パワー。 ハードは強いが、中華を統一するソフトパワー(民意)を欠く。 |
| 蜀 | 軍事力:脆弱(限られた兵力と山岳地帯) | 経済力:最弱(魏の数分の一の人口・生産力) | 意見を支配する力:最高水準(漢室復興・正義というイデオロギー) | 評価:過剰な理想主義。 イデオロギーでハードの圧倒的格差を埋めようとした。 |
4-2. 諸葛亮における「理想と現実の総合」の挫折
カーは「リアリズムなきユートピアニズムは無力であり、ユートピアニズムなきリアリズムは盲目的(あるいは単なる冷酷な現状維持)である」と断言した。優れた国家経営とは、掲げた理想(ユートピアニズム)に向かって、現実の力関係(リアリズム)を冷徹に計算・執行する「両者の総合」にある。要は、どちらか一辺倒では駄目で、何事もバランスが大事だということである。
三国志において、この理想と現実の総合に最も近づき、そしてその構造的限界に圧殺されたのが諸葛亮孔明であろう。
諸葛亮は「漢室復興」という究極のユートピアニズムを掲げて民意を組織した。しかし、彼の実際の政策は驚くほど徹底したリアリズムに基づいていた。蜀の経済的弱点を補うため、国家主導で「蜀錦」という高品質な絹織物を国営産業化し、それを敵国である魏の市場に流通させて外貨を巻き上げるという高度なマクロ経済戦を展開した。また、水利インフラの整備や、輸送兵器(木牛流馬)の開発など、ロジスティクスの最適化に全力を注いだ。
ただ、カーが指摘した通り、物理的な経済力・軍事力の圧倒的な格差(現実)を、どれほど精緻なシステムや「意見を支配する力」で補強しても、限界を超えることはできなかった。
諸葛亮の挫折と五丈原での死は、理想が現実のパワー・ポリティクスの前に屈せざるを得ないという、カーの政治リアリズムが示す冷酷な真理の体現そのものなのである。
⑤に続く


